Runaway Love
「昼休み、心配で戻ってきたら――早川主任が来てました」
「え」
「――……茉奈さんの隣に座って――……髪、撫でてましたよ」
「――……え」
 思わず、服の上から胸を押さえてしまう。

 ――……何で……早川が……。

「……オレに気づいてなかったみたいでしたけど……」
「……何で、早川がいたのか、わからないわ」
「でも、今の状況で茉奈さんに会いに来るなんて、それだけ、心配だったんでしょう」
 野口くんはそう言って、あたしをそっと抱き寄せた。

「――早川主任は良くて、オレはダメなんですか」

「……そう言う訳じゃ……」

 偽装なんだから、余計な荷物は背負わせたくない。
 ましてや、野口くんは、今、自分を一生懸命変えている途中なんだから。
「茉奈さん」
「――……ごめんなさ……」
 言いかけた言葉は、かすめていく唇で遮られた。

「――……の、ぐち……くん……?」

「――……本当の彼氏なら、許してくれますか……?」

「え?」

 あたしは、ぼう然と彼を見上げる。

「――……オレは、偽装じゃなくて……本当の彼氏になりたいです」

「え、の、野口くん……?」

 あまりの急展開に、頭がついていかない。
 けれど、野口くんは、あたしを抱きしめると、耳元で続ける。

「茉奈さんが、好きです。――……オレに、あなたを心配する権利をください――……」

「野口くん――」

 彼が、必死で紡いだ言葉は、胸を締め付ける。


 ――……でも……。


「――……ごめん…なさい……」


 あたしの返事に抗うように、腕に力が込められるが、傷つけるのをわかっていて、この状況を続ける訳にはいかない。
「ありがとう。――……あたしなんか、好きになってくれて。……でも、最初に言ったわよね……?……恋愛は、したくない、って……」
「そうですけど――……」
 あたしは、野口くんの腕から力任せに逃れる。
 そして、視線を落とし、告げた。
 ――自分でも、再確認するように。

「あたしは、一人で生きていたい。――……だから……ごめんなさい……」

 こうなったら、いっそ、自然消滅でもさせてしまおうか。
 これ以上、野口くんを巻き込めない。
 あたしなんか相手にするより、もっと、彼の事を考えてくれる女性を探した方が幸せなはずだ。
 すると、野口くんは、あたしの手をギュッと握った。
「野口くん」

「――オレ、別れませんから」

「え」

「……茉奈さん、別れようとしてるでしょう?」

 あたしは、ギクリとして野口くんを見る。
 視線が合い、真っ直ぐに見つめられると、逃げ場を失うような錯覚に陥ってしまう。
「で、でも、元々は偽装だったんだし……」
 いずれは、解消しなければいけない関係だ。
 だが、野口くんは、頑として考えを変えない。

「――茉奈さんが、オレを変えてくれたんです。……なら、オレも、茉奈さんを変えてみせます」

 その自信にあふれた宣言とは裏腹に、野口くんの目は不安そうに揺れている。
 まるで、捨てられるのをわかっていて、怯える仔犬のような――。
 あたしは、逃げるように、視線をそらす。

「――……変わらないわ……。きっと……」

 ここで突き放すのは簡単だ。
 でも、そうしたら、野口くんの症状が悪化しかねないような気がして――結局、うなづくしかなかった。
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