Runaway Love

25

「貸してた本の続き、見に来ませんか」

「え、で、でも――」

 正面玄関を出ると、そう言って、野口くんは、半ば強引にあたしを車に乗せた。
 彼のアパートへ到着する頃には、辺りはすっかり闇に覆われ、街灯と近くの店舗の明かりくらいしか見えない。
 あたしは、速くなっていく心臓の音を聞かれたくなくて、うつむいたままだった。
 ――どうしよう。
 今までは、偽装という名目があったから、自然体でいられたのに。

 ――……もう、本当に、彼氏になったんだ。

 そう思うと、今まで見ないようにしてきた色々が視界に入ってきて、挙動不審になりそうだ。
「――茉奈さん?」
「あっ、つ、着いた……?」
 野口くんの声で、我に返る。
 顔を上げれば、逆光でも顔がわかるくらいに、助手席のドアを開けてくれていた彼との距離は近かった。
「ごめん、今、降り――……」
「茉奈さん!」
 車から降りようと、足を下ろしたはずだったのに、そのまま崩れ落ちそうになり、野口くんが慌てて抱きかかえてくれた。
「ありがと……」
 あたしは、それだけ言うと、彼から離れる。

 ――ダメだ。
 何だか、心臓がおかしくなりそう。

 促されるまま、野口くんの部屋に入るが、玄関で足は止まってしまう。
「――茉奈さん。頬の傷、もう一回見ても良いですか」
「え」
「悪化してないか、心配なんで」
 彼は、そう言うと、突っ立ったままのあたしの手を引いて、部屋の中に入っていく。
 確かに、まだ痛み止めは効いているらしいが、状況は確認していない。
「――マスク、取りますよ?」
 野口くんが、恐る恐る言うので、あたしはゆっくりとうなづく。
 すると、そおっと外した後、眉を寄せながら頬に触れた。
 瞬間、ズキリ、と、痛みを感じ、あたしは、目をキツくつむる。
「あ、すみません……。湿布、貼りますか?」
 心配そうに尋ねる野口くんに、あたしは、再びうなづいた。
「――お願いできるかしら……。マスクの邪魔になるから、貼らなかったのよ。……相当腫れてる……?」
「だいぶ、熱持ってるように見えます」
 彼はそう言うと、後ろの棚にあったボックスを引っ張り出す。
 中には、常備薬が入っているようで、湿布もある。
「用意が良いのね」
「姉さんが、心配性なんです。何でもかんでも、念のため、って言って。――まあ、今は感謝ですが」
 そう言いながら、湿布を四分の一程に切り、シートをはがすと、あたしの頬に貼った。
「ちょっと、冷たいでしょうけど」
「――っ……!!」
 覚悟はしていたけれど、やっぱり冷たい。
 夏だというのに、背筋まで凍りそうになるような錯覚。
「だ、大丈夫ですか」
「……え、ええ。……ありがと……」
 苦笑いで返すと、野口くんは、あたしの切れていた口元に手を当てた。
「野口くん……?」
「――……痛い、ですよね……」
「まあ、しばらくはガマンするしかないわね」
 そう、自分を納得させようとしているのに、野口くんは許してくれなかった。
 あたしを抱き寄せたその腕に、力が込められる。
「――……だから、早川主任、様子を見に来たんですね」
「……そうみたいね。……まあ、気づかなかったんだけど」
「気づかないでくださいよ」
 野口くんは、見上げるあたしのまぶたにキスを落とす。
「……今回だけは、しょうがないですけど……今度、早川主任が同じ事したら、牽制しますからね」
「な、何言って……」
 あまり、彼に似合わないセリフに、あたしは慌てて顔を上げると、至近距離のキレイな顔に心臓が飛び上がる。
「彼氏、ですから」
「で、でも――……」
 それ以上は言わせてくれなかった。
 軽くかすめるキスは、どんどん深くなっていく。
 あたしは、野口くんの服をつかみ、力が抜けそうになるのに必死で耐えた。
「――怖がらせたくないんで、嫌なら突き飛ばしてください」
 一瞬だけ唇を離すと、そう言い、再び重ねてくる。

 ――……怖くはない。

 ……ただ、申し訳なさが勝っているだけ。

 そんな思いは、たぶん、気づかれているだろう。

 ――それなのに――そんな言い方で、逃げ道をふさぐのね。

 あたしは、無意識に、口内に入り込んでくる彼の舌に、そっと応える。
 目を閉じると、全身の神経が何倍も敏感になってしまうようだ。
 すると、急に体が勢いよく離された。
 目を開けると、真っ赤になった野口くんが、あたしを見ている。
「……野口くん……?」
「すっ……すみませんっ!ちょっと、頭冷やしてきます!」
「え?」
 言うが遅い、すぐに立ち上がると部屋を出て行ってしまった。

「――……え??」

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