Runaway Love
 十分ほどして、バッグの中が振動していたので、スマホを取り出すと、野口くんからメッセージが来ていた。

 ――すみません、夕飯買って帰ります。何が良いですか。

 さっきの今で、と、思ってしまったが、野口くんには、たぶん必要な事だったんだろう。
 あたしは、口の中も切れているので、なるべく食べやすいものを、と、返す。

 ――わかりました。あと、本棚の本、勝手に見てても良いですよ。

 その言葉に、思い切り食いついてしまう。
 自分でも現金とは思うが、誘惑には勝てない。
 お礼を返し、スマホを片付けると、一番近くの棚に目を向ける。

 ああ、どうしよう。でも、やっぱり、この前のシリーズよね。

 まだ、三冊しか読んでいないのだ。気になるに決まっている。
 こうやって、痛みから――いろんな事から気がそれるなら、ここに来た意味もあるだろう。
 ――……野口くんには、悪いけれど。
 あたしは、シリーズ四作目の本を取ると、前来た時のようにベッドに寄りかかり、ページをめくる。
 すると、冒頭からキスシーンになっていて、思わず本を取り落としてしまった。
 ――ヤバイ。さっきの今で、コレを引き当てるなんて……。
 もちろん、恋人同士での事。

 あたしは、唇に手を当てる。

 ――……岡くんと会ってから――縁が無いと思っていた事が、どんどん起こっていく。

 ――たぶん、処女は無くした。

 そして、三人もの男性(おとこ)に抱きしめられたり、キスされるなんて、思ってもみなくて。


 ――でも、あたしの中の傷が、癒える訳もなくて……。


 早く、元通りの生活に戻りたい。

 恋愛なんて、あたしには必要ない。

 ――そんな思いだけに、縛られている。


 そのまま読み進めて、五十ページ程。
 ガチャガチャ、と、ドアの鍵を開ける音がして、あたしは顔を上げた。
「――……す、すみませんでした……急に……」
 そう言いながら、野口くんが、コンビニの袋を持って入ってくる。
「……良いけど……何があったの?」
「え、あ」
 ビクリとして、あたしを見下ろす彼の顔は、まだ赤い。
「大丈夫なの?顔赤いけど……風邪?熱あるの?」
「いやっ……そうじゃなくてっ……」
 野口くんは、視線をうろつかせるが、あたしの前にヒザをつくと、耳元でささやくように言った。

「――さすがに、告白当日に押し倒すようなマネはしたくないんで」

「――……っ……⁉」

 あたしは、無意識に体を跳ね上がらせ、左耳を押さえる。
 やっぱり、耳はダメだ。
「だから、そういう顔ですってば」
「え」
 野口くんは、コンビニ袋をテーブルに置くと、あたしに言った。
「――……茉奈さん、無意識ですよね。……時々、誘ってるような、色っぽい顔見せるの」
「なっ……何言ってっ……!!」
 言い返そうとしたが、思い当たる節があったので、口をつぐんでしまう。
 そして、それを見逃すような野口くんではない。
「――誰かに言われました?」
 畳み掛けるように、あたしの肩を掴み、耳元で話す。
 ――わかってて、やってるわね!
「――……早川主任?……それとも、あの時の彼?」
 あたしは、にらみつけようとするが、体に力が入らない。
 こんな意地悪するコだなんて、思わなかった。
「茉奈さん。――マズイです」
「……え……?」
「……オレ、ちょっと、束縛強いかもしれないです……」
「な、何っ……」
 野口くんの話している内容が、頭まで届いてくれない。
 動こうとしているのに、肩は掴まれたまま。
「ねっ……ねぇっ……!も、やめっ……てっ……」
「――じゃあ、茉奈さんから、キスしてください」
「え」
「――……じゃなきゃ、ずっと、こうやってますけど?」
「……っ……!」
 あたしは、顔中真っ赤にし、野口くんを見やる。
「……意地悪っ……!」
 それだけ言うと、あきらめ半分で、顔を近づける。
 至近距離の野口くんは、ほんの少しだけ、微笑んだ。

 ――とても、うれしそうに。
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