Runaway Love
 翌朝、出社し、ロッカールームに入ると、中で聞こえていた話し声はピタリと止んだ。
 あたしは、軽く会釈すると、すぐに支度をして出て行く。
 それを見計らったように、再びしてくる話し声に、思わず苦笑いが浮かんだ。
 あっという間に、ウワサになっているんだろう。
 公開告白をしたようなものなのだから。
 外山さんのように、同期同士や、同じ部署でいろいろ回っているに違いない。
 あたしは、エレベーターホールで一人待っていると、少し後ろに立った集団の話し声が、聞くともなく聞こえてきた。
 そして。

 ――あれが。

 そう、聞こえた瞬間、あたしは、足を階段室の方に向ける。

 五階までは厳しいが、今は、雑音に耳を貸す方がキツい。

 何を言われているのかは、大体想像がつくけれど――それを他人から実際に言われるのは別問題だ。

 あたしは、息切れをしながらも五階にたどり着き、若干よろつきながらも、経理部の部屋のドアを開ける。

「お……おはよう……ございます……」

 他の三人は既に仕事を始めている。
 野口くんも、通常仕様だ。
 淡々と、いつも通りにファイルやらパソコンやらとにらみ合い、電卓をたたく。
 軽く挨拶を交わすと、大野さんが立ち上がり、
「杉崎、ちょっといいか」
「はい」
 あたしに視線を向け、今、入ってきたばかりのドアを指さした。
 あんまり良い事ではないんだろうと思ったが、素直について行く。
 部屋を再び出ると、二人で第一資料室の前まで歩く。
 そして、大野さんは足を止めて振り返った。
「――昨日の一件だがな」
「はい」
「社長は不問にするとは言ったようだが、上の方で、示しがつかないっつー意見が出たらしい」
「――はい」
 あたしは、口元をキュッと結ぶ。
 異動――最悪、クビか。
 さすがに、短期間で二回も騒ぎを起こしていれば、当然だろう。
 けれど、大野さんは苦笑いで首を振った。
「おい、クビなワケないだろうが。ただでさえ、部長がいなくて、大わらわなのに」
「――え」
 あたしの心境に気づいたのか、大野さんは、先回りして言う。
「野口と杉崎は、一か月、一割の減俸だそうだ」
「――……はい」
 減俸も痛いが、クビよりはマシ。
 そう思いうなづく。
 ――あれ?
「大野さん……早川は……」
 当事者というなら、早川もそうだろう。
 すると、大野さんは、少しだけ言いよどむ。
「……早川は……三か月間、大阪支店に出向だ」
「え?」
「あの営業の――星野商店はさ、会長が関西出身で、西の方の販路に強いんだってよ」
 あたしは、黙ってうなづく。
 良い事なのか、悪い事なのか、まだ判別がつかない。
「社長が、あの後、すぐに先方の社長にアポ取って、緊急商談。杉崎の件を伝えたら、向こうさん、真っ青になってウチの条件のんでくれたんだそうだ」
「――……それって……」
 あのトラブルが、ダシにされたという事……?
 思わず眉を寄せてしまう。
「そう、にらむな。社長だって、商売人だ。それに、その件を放置するつもりは無いって、アピールにもなるしな」
「で、でも、あたし個人の問題であって、会社には関係無いんじゃ……」
「それでも、お前はウチの社員で、向こうは取引先だ。まったく関係無い訳じゃあない」
 大野さんは、少しだけ固い口調で続ける。
「それで――早川が取った契約って事もあって、アイツが、大阪支店の方で細かい事を決めてくるよう言われたらしい」
「――……そうですか……」
 あたしは、視線を落とす。
 ――でも、ペナルティではあるのよね……。
 ウチの会社は、一応、全国規模とはいえ、偏りもある。
 関東で十種類置いてもらえる自社商品も、関西ではその半分以下だ。
 それは、付き合いのある問屋の関係もあって、重心がどうしてもこちら側になってしまうからで。
 大阪支店は、ほんの五人の小さな支店で、最低限のトラブル対応の為に設置されたようなものだ。
 営業をかけるような余裕など、ほとんど無いと同じ。
「まあ、お前が原因の一つとはいえ、それだけで社長の決定に影響する訳じゃない。元々考えていたタイミングに、ちょうど良く乗っただけだ」
 大野さんは、そう言って、あたしの背中を軽くたたく。

「お前は、お前の仕事をするだけだ。――違うか?」

 あたしは、その言葉に、首を振った。
< 134 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop