Runaway Love
「――……悪かったな……」

「何が」

 エレベーターに乗り込むと、すぐに、早川が謝ってきたので、あたしは眉を寄せた。
 謝らなきゃいけない事なんて、していないクセに。
「だから……昨日、あの若いヤツと、ゴタゴタしちまって……お前まで巻き込んだ形になったから……」
「――別に。事実は伝えたんだし、あたしは気にしてない」
 すると、不意に髪をそっと撫でられ、あたしは顔を上げる。
「――何よ」
「……いや……サンキュ」
「意味わからないんだけど」
 あたしは、早川の手を払い落とす。
「――……やっぱり、可愛くねぇわ」
「うるさい男ね」
 エレベーターが五階に到着すると、あたしは開きかけたドアを、半ばこじ開けるようにして下りた。
 早川のいる営業部は、三階だ。
「お疲れ様。せいぜい、名誉挽回に、新規案件でも取ってきなさいよ」
「……うるせぇな」
 あたしは、そう言い捨てると、振り返らずに足を進めた。
 三年前のパンプスは、少々、久しぶりすぎて――終業のあたりには、靴擦れらしきものができていたのだった。

「――ホントに、手伝わなくても良いんですか?」
 外山さんの、不安そうな言葉に、あたしは首を振った。
「大丈夫。あなたは、暗くなる前に帰りなさい」
「……ハイ……」
 少しだけ、しゅん、と、なりながらも、外山さんは頭を下げて、部屋のドアを閉めた。
「じゃあ、さっさと片付けようかね」
「ハイ」
 あたし達は、自分のデスクを片付けながらうなづいた。
 毎日締めた後や週間毎にも、チェックは入れている。
 けれど、それは個人的なものなので、月締めが来る前に、部長の意向で締めとは別に、一回――約十日から二週間分のチェックを、全員でするのだ。
 スケジュールを考えながら、部長が日にちを指定してくるので、残業の予定は組んである。
 役割分担が決まっているとはいえ、全員、お互いの仕事内容も、チェック項目も理解しているので、早ければ一時間もかからず終わる。
 だが、やっぱり、若い女性である外山さんを残すのは、はばかられるのだ。
 領収証の束やら、レシートやら、記帳された帳簿やらを机の上に広げると、部長が振り分け始めた。
「今回は、営業から、山のような領収証が届いたからね。各課の領収証チェックは、大野くんと私でやろうか。杉崎くんと野口くんは、伝票と帳簿の確認を頼むね」
「はい」
 あたしは、伝票と帳簿のファイルを受け取ると、すぐに広げて目を通す。
 野口くんは、生産課の仕入れ伝票やら、支払い計画やら、書類ファイルを抱え、パソコンとにらめっこしていた。
 ――大野さんは、部長代理。野口くんは、三年目の後輩だ。
 二人とも、最初から経理部配属なので、勝手は理解している。
 外山さんには、折を見て教えないととは思うけれど――彼女が、どれだけこの会社にいてくれるか、まだわからない。
 あたし達の時とは違い、転職に抵抗がまったく無い世代なのだから。
 ――まあ、あたしの場合は、正社員なら何でも良いってカンジだったけれど。
 だから、本人の様子を見ながら、タイミングをはかろうと思うのだ。
 結局、教えるのは同性の、あたしなんだろうから。

 それから約一時間程で、チェック終了。
 無事、何事も無かった。
 それが一番。
「お疲れ様でした。また、締めに向けて、よろしくお願いしますよ」
 部長は、帰り支度をしながら、そう言った。
 そして、全員で部屋を後にすると、エレベーターに乗る。
「ああ、そうだ。杉崎くん、社長、何だって?」
「え」
 少々、気まずそうに尋ねられ、あたしはキョトンとする。
 けれど、すぐに朝の呼び出しの事と気がつく。
「――ああ、少々トラブルがあって、その事情の確認なだけです。それも、解決しましたので」
「そ、そう、良かった。万が一、不祥事でも起こして退職でもされたら、経理部大打撃だからね」
「申し訳ありません」
 あたしが部長に頭を下げると、大野さんが、苦笑いしながら続けた。
「違う違う、杉崎。いなくなったら、困るっていう意味」
「え」
「せっかく、仕事できる人間、辞めさせられたら、もったいないだろうが」
「――え、あ……ありがとうございます……」
 思わぬ評価をされ、あたしは動揺してしまう。
 ――ただ、毎日、ちゃんと仕事をしているだけなのに。
 けれど、それを認められているというのは――思ったよりも嬉しいんだと感じた。
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