Runaway Love
「アンタ、ヒマなの?」

 実家に帰るなり、開口一番、母さんに言われ、あたしは眉をしかめた。
「そんな訳ないでしょうが。……足の具合は、どうなのよ」
 バッグをリビングに置くと、あたしは、ソファに座っていた母さんを見やる。
 横になっていないだけ、マシになったようだ。
「昨日、医者に行ったけど、骨に異常は無いし、少しずつ動かないと、今度は筋肉が落ちたりして、別の方で困る事になるってさ」
「――そう。でも、いきなり、いつも通りはやめてよね」
「ハイハイ」
 母さんは、少々面倒臭そうにうなづくと、キッチンへ向かった。
「アンタ、何か飲むかい?」
「――お茶で良い」
 あたしは、そのままリビングの床に座る。

 今日は、中締め後で、仕事も少しは落ち着いたので、野口くんに送ってもらって、母さんの様子を見に来たのだ。

 ――帰る頃、連絡ください。迎えに行きますから。

 実家から、少し離れた場所に車を停めると、野口くんは、そう言ってあたしを送り出してくれた。
 なので、あんまり長居をするつもりもない。
 すると、目の前に湯呑が置かれる。
「――ありがと」
「ああ、そうだ。アンタ、今度、奈津美の検診、ついて行ってくれない?」
「……は??」
 唐突に言われ、あたしは何の事かと、聞き返す。
「産婦人科だよ。照行くん、今度、出張で、検診の日ついて行けなくてさ。アタシは見てのとおりだし」
「……一人で行けないの」
 あたしは、眉を寄せる。
 けれど、母さんはバッサリと切った。
「行かせられないでしょう。あのコ、今、つわりで、まともに動けないのよ」
「――え」
 この前会った時には、ケロッとしていたのに。
「アンタには、わからないでしょうけど。初期の妊婦の体調なんて、一瞬で変わるのよ。安定期に入るまでは、安心できないの」
「……わ、わかったわよ」
 そう言われると、行かざるを得ない。
 ――どんなに、気まずかろうが、お腹の子には、何の罪も無い。
 すると、母さんは、思い出したように続けた。
「そうそう。それで、将太くんが車出してくれるそうだから、アンタ、一緒に乗って行ってよね」
「――……え」
 急に出された名前に、あたしは、硬直してしまった。

 検診は土曜日の午前中。
 一応、事情が事情なので、あたしは奈津美と、前日に実家に泊まり、岡くんが迎えに来てくれる事になった。
 ――完全に油断していた。
 彼は、奈津美の友人でもあるのだ。
 そして、まだ就職していない院生。
 他の人間よりは、少しは融通が利くのかもしれない。

「――茉奈さん、どうかしました?」

「え、あ」

 不意に声をかけられ、あたしは顔を上げた。
 野口くんに迎えに来てもらったのは、十分ほど前。
 あれよあれよという間に決められたスケジュールに、ため息をついてしまいそうになる。
「――え、っと……」
 一応、野口くんには、話しておいた方が良いだろう。
 土曜日、また、デートに誘われ、断るハメになると、罪悪感が増してしまう。
 ハンドルを握る彼をチラリと見やると、あたしは、視線を下げた。
「今度の土曜日なんだけど――……」
 気まずさに、声が小さくなってしまう。
 けれど、野口くんは、無言で続きを待った。
「妹が……今、妊娠してて」
「え」
「それで、検診についていかなきゃいけなくなったの。つわりがひどいらしくて、一人で行かせられないって、母親に言われて……」
「――そうですか」
 淡々と返す野口くんを見られないのは、続きを言わなきゃいけないからか。
「……それで……旦那さんが、出張でいないから……岡くんに車出してもらうって……」
 すると、野口くんは、チラリとバックミラーを見やり、道路の脇に車を停める。
 そして、あたしを見て言った。
「の、野口くん?」
「それって、二股のウワサの彼ですよね」
「――……え、ええ……」
 あたしが認めると、野口くんは、視線をそらした。
「……マズくないですか。……万が一、誰かに見つかったら……」
「……そう、なんだけど……。あのコ、奈津美……妹の友人でもあるの」
「――……じゃあ、絶対に、彼と二人きりにならないでくださいね」
「え」
 念を押すように言う野口くんに、あたしは目を丸くする。
「……今度は、オレと、あの彼と、二股、なんて事になるでしょう」
「そ、そうよね。……わかったわ」
「――茉奈さん、ホント、恋愛関係になると、鈍くなるんですね」
「――……悪かったわね」
 あきれたように言う野口くんを、あたしはにらむように見上げたのだった。
< 140 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop