Runaway Love
 お風呂から上がり、支度を終え、ベッドに倒れ込む寸前、スマホの着信ランプが光っているのが見え、あたしは手に取った。
「――野口くん?」
『あ、すみません……遅くに』
 気まずそうに言う彼に、尋ねる。
「どうかしたの?」
『――いえ、その……今週、忙しいので、どうかと思ったんですが……週末、本、見に来ますか?』
「――え」
 思わず固まってしまう。
 顔が見えない分、彼の状況がわからない。
 ――もし、ここで断ったら――……。
「……い、行く、わ」
『――そ、そう、ですか。……わかりました』
 ぎこちない返事に、お互いに緊張していると気づく。
 すると、少しだけ柔らかくなった口調で、野口くんは続けた。
『――また、新刊、買ったんで』
「え⁉」
 その言葉に、思わず、食いついてしまう。
 新刊、というだけで、魅力的に聞こえるのは何でだ。
『――ハイクラスシリーズ、最新刊、ですよ』
 それは、あたしが今、彼から借りているシリーズのもの。
 もちろん、作者は芦屋先生だ。
「え、もう、出たの⁉」
『ハイ。今回のシリーズって、割と、ページ数少ない分、ペース早いみたいで』
「そっか……。あ、じゃあ、読み終わったら、今度借りて良いかしら?」
『もちろんです』
 それから、数十分、野口くんと本の話題が続き、気がつけば日付を越えそうだ。
「ご、ごめんなさい、もう寝よう。明日に響くわ」
 あたしが慌てて切ろうとすると、野口くんは、了承した。
『――そうですね。――おやすみなさい、茉奈さん』
「お、おやすみ、なさい……か、駆くん」
 思わず噛みそうになる。
 ――だって、電話越しに、おやすみ、とか……。
 すると、耳元で、クスリ、と、笑い声。
 あたしは、それに、ムスリ、と、返す。
「……駆くん」
『いや……噛まないでくださいよ』
「わ、悪かったわね!」
『いえ。可愛いです』
「――……だからっ……!」
 言いかけて、あたしは口を閉じる。
 これでは終わらない。
「……もう。……じゃあ、ね」
『ハイ』
 あたしは、通話終了をタップし、ベッドに横になった。

 ――……何だろう。こんな、普通の恋人がするような事してるなんて、不思議な感じだ。

 ――……あたしには、縁の無い事だと、思っていたのに。

 スマホを両手で持って見上げる。
 ぼうっとしかけ、メッセージが来ていた事に気づき、慌てて開いた。

 ――早川。

 一瞬だけ、ギクリとしてしまった。
 罪悪感が、まだ、どこかに残っている。

 ――大阪支店、みんな良い人ばかりで、安心した。

 ――初日、大口一件契約。

 断続的な報告に、苦笑いが浮かぶ。
 ――さすが、トップ営業。
 いろいろあるけれど、コイツの能力は、見くびってはいない。

 ――まあ、頑張ってよ。

 何も返事が無いのも失礼かと思い、そう送ろうとして、迷う。
 こんな時間に――それに、来たのは、二時間も前だ。

 ――……やっぱり、やめよう。

 そう思い、消そうとして――

「え」

 ボタンを押し間違えた。

 ヤバイ!こんな夜中に!
 あたしは、どうしたらいいか、迷っていると、すぐに返信だ。

 ――サンキュ。おやすみ。

 たったそれだけ。
 ――なのに、ちょっとだけ安心してしまう。
 いつも通りの早川だ。

 あたしは、今度こそ、スマホを置くと、そのまま眠りについた。
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