Runaway Love
「ああ、杉崎さん、柴田さんと、そっちの真ん中に座ってて!」

 時間ちょうどに食堂に入ると、あたしと柴田さんは、寄せられた机の真ん中の席に座らされた。
 既に、二十人近くの女性社員――ほぼ、おばさま社員達だが――が集まっていて、ジュースやらお菓子やらをセッティングしていた。
「何だか、落ち着かないわねぇ」
 苦笑いで、柴田さんがあたしに言うので、あたしも同じようにうなづいて返した。
 こんな空気は、初めてで――何だか落ち着かない。
 すると、永山さんが、食堂の入り口で大声で手招きしている。

「お待たせー!到着したよ!」

 そう言うと、数人のおばさま方が足早に向かう。
 そして、フワリと香る匂いに、ドキリとした。

 ――オムライスの香りだ。

 頭よりも先に、身体が反応してしまう。
 どうしても、岡くんを思い出して――……。

将ちゃん(・・・・)も、こっち持って来て!」

「永山さん、人使い荒いですって!」


 ――え?


 聞こえてきた声は、幻聴か。

 あたしが、食堂の入り口を見やれば、そこから入って来たのは――


「……岡くん……?」


 ポツリとこぼした言葉は、喧騒に消え、誰にも届いていない。

「ハイハイ、こっち置いてちょうだい!将ちゃんも、柴田さんに挨拶していきなさいな!」

「わかってますってば」

 そう言って、テーブルにオムライスを置いていく彼を見上げる。
 そして、視線が合い――。

「ああ、こちら、本社の経理さん。杉崎さんって言って、柴田さんの次が来るまで、仕事引き継いでくれるんだよ」

 あたしは、どう反応したらいいのか、戸惑う。
 すると、岡くんは、ニッコリと笑い、口を開いた。

「そうなんですか。――初めまして(・・・・・)。駅裏の”けやき”という店の者です。こちらには、テイクアウトで、ずっとお世話になっています」

 瞬間、心臓が凍った感覚。

 けれど、それを見ない振りをする。


「――初めまして(・・・・・)、本社、杉崎です」


 お互いに傷つけ合うような、”初めまして”。

 ――そんなものがあるなんて、考えもしなかった。


 ほんの二時間程度の会ではあったが、出席者すべて、柴田さんと浅からぬ縁があったようで、最後にはお酒も入っていないのに、大泣きしている人たちばかりだった。
 何となく、身の置き場が無かったが、こういう風に絆を築いてきた柴田さんを、ただただ尊敬するだけだ。

 ――たぶん、あたしには無理だから。

 必要最低限の接触だけ。
 男性とは、特に距離を取って。

 そうやって生きてきたあたしには、今まで、こんな風に、別れを惜しんでくれる人なんて、いなかった。

 ようやくお開きになり、帰りのバスの時間には、どうにか間に合うようで一安心だ。
 あたしの他に、バスで帰る人間はいないらしく、正門前で別れる。
 みんな自家用車で、駐車場に向かって行った。
 それを見送り、道路を渡ってバス停に向かう。
 行きとは反対側、横断歩道を渡って数メートル歩くと、すぐにあるので、何の危機感も無い。
 あとは、バスが来るのを待つだけ。
 そう思いながら、歩いていると、不意に右腕を掴まれた。

「――……っ……⁉」

 一瞬、ビクリとして、反射的に振り返る。

「――……お、岡くん……?」

「何で、こんな時間に、一人で歩いてるんですか!」

 憤りながら言う彼から、あたしは視線をそらす。
「――バス通勤なのよ。当たり前じゃない」
「……彼は……野口さんは、迎えに来ないんですか」
「そんなの、アンタに関係無い」
「じゃあ、オレが送ります。心配ですから」
 その言葉に、あたしは、イラつきながら腕を払った。

「――他人の振りをしたアンタが、何を今さら」

「……茉奈さん、それは……」

 あたしは、そのままバス停まで歩き出す。
「茉奈さん!」
 岡くんが追いかけてくるのは、もう、無視だ。
「聞いてください!」
「聞きたくないわよ!」
 すると、思い切り右手首を掴まれ、その強さに、あたしは顔をしかめる。
 だが、岡くんは気にも留めずに、反対側へ歩き出した。
「ちょっと、離してよ!大体、何でいるのよ!」
 確か、食器は使い捨てのものだ。引き取りに来る必要も無いはず。

「――心配だからに決まってるじゃないですか」

 心もち、固くなった声に、言葉が出ない。
「アパートの近くで降ろしますから」
「でも」
「タクシーとでも思ってください」
 岡くんは、そう言って、振り返りもせずに、工場のそばに路駐してある車に向かって歩いて行く。
 掴んでいた、あたしの手首を離し、距離を少しだけ取って。
「――……わかったわよ……」
 これ以上言い合って、騒ぎになるような真似もできない。
 あたしは、あきらめてうなづく事にした。
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