Runaway Love
 翌日から、いよいよ、一人ですべて賄わなければならなくなった。
 柴田さんは、もう、引っ越しの準備などで追われて、来る事もかなわない。
 一つ一つ、慎重に事務作業をしていると、次から次へといろんな仕事がやってきて、そのたびに、中断させられパニックを起こしそうになる。

 ――とにかく、優先順位をつける事、必要事項を確認する事。

 昨日の終わりかけ、柴田さんに念を押された。

 ――後は、ダメなら、ダメと見切る事も大事。

 じゃないと、パンクしちゃって、他の作業にも影響が出るから。
 そして、ダメな時は、いつなら、どうやったら大丈夫になるかも考える。
 自分の手に余るなら、すぐに相談。

 あたしは、深呼吸して、彼女の言葉を刻み込む。
 伊達に、定年までやっていない。
 経験値が違うのだから、素直に聞くのが一番だ。

「おーい、杉崎さん、ちょっと買い物出たいんだがー!」

 すると、工場長の大声が頭上を越えていく。

「わかりました!どちらまでですか!」

 ――つられて、思わず声を張り上げてしまった。


「お疲れ様ぁ!どうだった?」
 ロッカールームを出ると、永山さんが、ニコニコと笑いながらやってきて、あたしに声をかけてくる。
「お疲れ様です。――……まあ、バタバタしましたが、何とか……」
「あら、そお!良かったわぁ!柴田さんは、大丈夫だって言ってたけど、やっぱり、二日で引き継ぎなんて、しんどいかと思ってさ」
「たくさん、メモ残してもらいましたので」
「抜け目ないねぇ、あの人も」
 永山さんは、そう言って、少しだけ寂しそうに笑う。
「――じゃあ、お先に失礼します」
 あたしは、それに気づかない振りをして、頭を下げて工場を後にした。

 バスは、遅れる事なく、定時に来て、定時に出発する。
 三日目ともなると、少しだけ慣れてきて、初日に座った席が空いていたので、そこに腰を下ろす。
 窓の外を見やれば、帰宅ラッシュの車が、渋滞を起こしかけていた。

 ――野口くん、ちゃんと、定時に終われたかしら。

 昨日、岡くんと会った事は、まだ伝えていない。
 ――伝えたら……今度こそ、本当に閉じ込められてしまいそうな気がして。
 まあ、きっと、思いとどまるだろうけれど。

 あたしは、ヒザの上に乗せていたバッグを抱える。

 ――……ちゃんと、安心させられたらいいのに。

 けれど、方法が思い浮かばず、無意識にため息をつく。
 バスの中は、ほどほどに満員だけど、みんな、スマホで音楽を聞いたり、映像を見たり、本を読んだりと、周囲には無関心だ。
 あたしのため息なんか、気にも留められない。

 それが、妙に、ホッとした。
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