Runaway Love
 結局、事務仕事は、鳴り響く電話に押され続け、終わったのは七時半を過ぎた頃だった。
 今日中にしなければならない原材料の追加発注や、備品の発注が、今日の午後になって、ようやくやって来たのだ。
 それだけ押せ押せになっているのだろうけれど、こっちも大変になる。
 今日は、ほとんど、工場長と二人で、電話とパソコンから離れられなかった。
 そして、ようやく自分の事務仕事に取りかかり、金庫の鍵を片付けたのは、七時過ぎ。
 それから、ファイリングだの、明日の確認だのしていたら、こんな時間になってしまった。
「杉崎さん、バス、最終間に合うか⁉」
「だ、大丈夫です。……九時半が最終みたいなんで」
 頭の中の時刻表を思い出し、工場長に答えると、眉を下げられた。
「大丈夫じゃないだろう。タクシー使うか?経費で落ちるだろ」
「大丈夫です。無駄な経費は使いたくありませんから」
 あたしは、バッサリと断り、事務室を後にした。
 ただでさえ、ここの工場の経費は、他のところよりかさんでいる。
 それは、一番の稼ぎ頭というのもあるが、何より、一番古いので、修繕だの部品の交換だのが頻繁なのだ。
 ロッカーで着替えて、工場から出ると、既に辺りは真っ暗になっていた。
 けれど、同じように出て行く人達も多いので、そこまで不安に感じる事は無い。

「茉奈さん」

「え」

 すると、工場の正門を出た辺りで声をかけられ、そちらを見やれば、野口くんが、女性の視線を独り占めしながら、あたしの方へやって来た。
「ど、どうしたの?」
「どうした、じゃありませんよ。スマホ、見てないでしょう」
「え?」
 あたしは、慌ててバッグからスマホを取り出すと、メッセージが二件と、着信が三件。
 すべて、野口くんだ。
「ご、ごめんなさい。お盆前で、バタバタしてて……今さっき終わったところなの」
「……聞いてます。待っていたら、工場のみなさんに声かけられて、そう言われたので」
「え、ちょ、ちょっと、いつから待ってたの⁉」
 あたしはギョッとして、彼を見上げる。
「七時前には、いましたが」
 何てことの無いように言うが、三十分近く待たせていたのか。
 ――いや、それ以前に。
「お盆前なんだから、そっちも忙しいはずでしょ?」
 本社からここまで、車で約四十分程。逆算すると、ほとんど定時なのだ。
 すると、野口くんは、口元を上げた。
「――結構、頑張れるもんですね。今日分の作業は、全部終わってます」
「……そ、そう……」
 あっさりと返すが、通常、お盆前なんて、滑り込んでくる色々で、いつも三十分以上は残業していたはずなのに。
 このコ、一体、どれだけ出来るの……。
 野口くんは、圧倒されていたあたしに、苦笑いを浮かべる。
「――だって、早く会いたいじゃないですか」
 そう言って、繋いだ手を握って、指を絡める。
「……充電、したいです」
 小さくつぶやいた言葉が耳に届き、あたしの心臓は過剰に反応してしまう。
 けれど、気づかれないように、平静を装う。
「……遅くなるじゃない。明日も忙しいんだから」
 あたしは、そう言って野口くんを見上げる。
 彼は、不服そうにあたしを見下ろすが、うなづいた。
「……そう、ですね。――……ちゃんと仕事しないと、茉奈さん、嫌でしょうし」
 納得していないようだが、仕方ない。
 近くに停めてあった車に乗せられると、あたしは、乗り込んだ彼をのぞき込む。
「わかってるなら、良いのよ」
「じゃあ、ご褒美くださいよ」
「え」
 あたしが目を丸くすると、野口くんは、車を発進させる。
「ご、ご褒美って……」
「――お盆休み、いつでも良いんで……茉奈さんの時間、ください」
「……あ、え、ええ。……わかったわ」
 一瞬、あらぬ方向に想像しそうになったが、単純にデートという事なのだろうと捉える。
 でも、絶対違うと言い切れないのが悩ましいところだ。

 ……次の休みに、いろいろ新しくした方が良いのかしら……。

 思わず、自分の下着を思い浮かべてしまった。
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