Runaway Love
 気を利かせてくれた店員は、あたしが持っていた服の袋に、購入したものが入った袋を入れてくれた。
「デート、頑張ってくださいね」
「え、な、何でっ……」
 その言葉に、思わず反応してしまう。彼女に言った覚えは無いはず。
 すると、にこやかに返された。
「何となく、ですよ。お客様、すごく真剣に悩まれてたから、彼氏さんに見せたいのかな、って」
 あたしは真っ赤になってしまうが、平然としている彼女に、過剰反応するのも恥ずかしくなった。
「……が、頑張ります……」
「はい!」
 笑顔で送り出され、あたしは、一回振り返り頭を下げる。
 見送られるのは恥ずかしいが、応援されるのは、嫌では無かった。

 ……今度、また、行ってみようか。

 それくらいには、彼女に好感が持てた。


 ようやく全て終了し、あたしは、クタクタになりながら、帰りのバスに乗る。
 もう、しばらくは行く気力も無いくらいに、華やかな雰囲気に充てられてしまった。
 やっぱり、あたしには程遠い世界。
 年に数回行くくらいでちょうどいいのだ。
 そのまま、バスの揺れに身体を任せていると、眠気が襲ってきて、慌てて首を軽く振る。
 ここで寝てしまったら、とんでもない。
 ちょっとだけ、自分で自分の手をつねって、意識を保った。
 そして、いつものバス停で降りると、荷物を抱え、アパートに帰る。

「……つ……かれた……」

 お盆前という事もあったのだろう。
 いつも以上の人混みに、緊張が解けた今、一気に疲れがやってきた。
 あたしは、気力を振り絞り、買ってきた服をハンガーにかけ、下着を取り出した。

 ――……だ、大丈夫、よね……?

 どちらも、店員のお墨付きをもらっているのだから、大丈夫だとは思うけれど――……こればかりは、好みの問題もある。
 そして、それ以前に、着る人間の問題もあるのだ。

 あたしは、自分の身体を見下ろし、ため息を一つ吐いた。


 翌日、お盆休み前、最終日ともあって、目が回るどころの忙しさではなかった。
 工場を出入りするトラックの量は、いつもの倍だ。
 そして、お盆前までに納品される部品や原材料、発注の確認、エトセトラ、エトセトラ……。
 次から次へと、やってくる仕事に、お昼休みは三十分で切り上げなければならず、午後からは、事務所にやってくる人達の対応に目が回る。
 気がつけば、終業時間などあっという間に過ぎていて、金庫の鍵を戻したのは、八時半だった。

「お疲れさん、杉崎さん。大変だっただろう、ホレ、コーヒー」

「あ、ありがとうございます」

 事務所の電気を消して出ると、しん、とした工場に、一瞬、違う場所かと錯覚をしてしまう。
 明日から三日間は、完全に工場は休みだ。
 工場長から受け取った缶コーヒーを両手で持つと、あたしは、ロッカールームに向かった。
 着替えを済ませ、電気を消す。
 薄暗くなった廊下に、少しだけ戸惑うが、入り口の明かりですぐにホッとした。
 他の従業員は、もう、みんな帰っているので、あたしが最後だ。
 入り口を出ると、工場長が鍵をかけ、待っていた副工場長や、各工場のリーダーの方たちと一緒に歩き出す。
 あたし以外は、全員、車通勤だ。
「杉崎さん、お迎えあるのかい?」
「え?いえ、バスで帰りますが」
 あっさりと返すあたしに、全員が目を丸くする。
「おいおい、大丈夫かい。もう遅いし、迎えに来てもらったらどうだい」
 工場長が眉を下げて言うが、あたしは首を振った。
「慣れてますから。お疲れ様でした」
 そう言って、すぐそばのバス停まで歩き出す。

 ――何でもかんでも、野口くんに頼るなんて、絶対に嫌だ。

 あたしは――一人で生きていくのだから。


 ――……いずれ、思い出になる人に、不誠実な事はしたくなかった。
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