Runaway Love
 それから、宣言どおり、岡くんは自分の作業を進めていて、あたしは静か過ぎるほどに静かな部屋で、図書館の本を読み始める。
 ページをめくる音が、耳に届くたびに、引き込まれていく感覚。
 時折聞こえる電車の音も、どんどん遠くなっていく。
 あっという間に半分近くを終え、大きく息を吐くと、何だか良い匂いがしてきたので、顔を上げて見回す。
 すると、既にキッチンで、岡くんが料理を作っていた。

「あ、遅くなっちゃってすみません、茉奈さん。お昼、ナポリタンでも良いですか?」

「――え、ええ、良いわよ。任せるって言ったじゃない」

 振り返って、彼はあたしに尋ねる。
 あたしは、それにうなづいて返した。
 ――やっぱり、おじいさんの影響なんだな。
 彼のレパートリーは、洋食がメインのようだ。
 手際よく、パスタを茹でながら、材料を切っていく彼の後ろ姿を、しばし見つめる。

 ――……でも……よく考えたら、あたし、このコの事、ほとんど知らないのよね……。

 最初が最初だっただけに、拒否する事しか考えられなかったし、今も、時折、どう接したらいいのか、わからなくなりそうになる。

 ――奈津美と照行くんの友人。
 ――”けやき”のシェフのお孫さん。
 ――大学院で、建築学専攻してる。

 彼を示す項目は増えていくのに――肝心の、彼の中心がどうにも見えない。

 それは――何だか、とても、さみしく感じた。


「茉奈さん、できましたよ?」
「え、あ、あり、がと……」
 目の前のテーブルには、既にナポリタンがキレイに盛りつけられたお皿が置かれ、コンソメスープとサラダが、更に付け加えられていた。
 この短時間で、よくできるものだ。
「――い、いただきます」
 あたしは、少し離したところに本を置くと、手を合わせ、フォークを持つ。
 キレイなオレンジ色のパスタを絡めて、口に入れれば、少し甘めのトマトケチャップの味。

「――おいし……」

 思わずこぼれた言葉は、本心だ。
 ケチャップだけで、この味になるのかしら。
 もしかしたら、自分で、いくつか調味料混ぜてる?
 そんな事を思いながら、顔を上げると、こちらをジッと見ている岡くんと目が合った。
 あたしは、そのままパスタを飲み込むと、ようやく我に返る。
「ちょっ……何見て……!」
 人が食べてるところなんて、まじまじ見るものじゃないでしょうに。
 すると、彼はニッコリと笑って言う。
「いえ、茉奈さん見てると、作ったかいがあるなぁって思って」
「――……な、何それ」
「だって、おいしそうに食べてくれるから」
「……そりゃあ、おいしいんだもの。当然でしょ」
 あたしは、そう言い捨て、更に食べ進める。
 けれど、目の前の岡くんが動く気配が無いので、顔を上げ――目を丸くする。
 初めて見るかもしれない。
 ――首まで真っ赤になった彼なんて。
「……岡くん?」
「えっ、あっ、いえっ……オ、オレも食べますんで!」
「あ、う、うん……」
 お互い、ぎこちなく言い合うと、無言で食べ続ける。
 でも、何だか、一矢報いた感じだ。
 いつだって、彼に振り回されているのは、あたしなのだから。
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