Runaway Love
 翌朝、腫れぼったくなっている目を冷やしながら、あたしは、引っ越しの準備をしつつ掃除をした。
 冷蔵庫の中身を取り出し、実家に持って行くものを選ぶ。
 あと三日ほど。
 外食は避けたいから、お惣菜やお弁当を買ってしのごうか。
 頭の中でスケジュールを確認しながら、残すものだけ冷蔵庫に入れ、後は保冷バッグに入れた。
 なかなかの荷物を持ちながら、まず、大家さんの家に行き、挨拶をする。
 長年お世話になっているので、顔は覚えられているようだ。
「じゃあ、来月ひと月だけ、空けるってコトだね」
「ハイ。よろしくお願いします」
「承知しましたよ。手続きはやっておくんでね」
 大家さんは、そう言って、うなづいた。
「また、帰って来る前に、連絡くださいよ」
「ハイ」
「――まあ、向こうでも頑張ってな」
 あたしは、一瞬目を丸くしたが、うなづいて頭を下げた。
 そんなに付き合いがある訳ではないが、印象は悪くなかったらしい。
 それだけでも、一安心だ。
 あたしは、荷物を抱えると、バス停まで歩く。
 いつものバスに乗り込むと、休日の朝なので、いつもと乗客の印象が変わっていた。
 これから出かける人達は、家族連れや、運動部なのか、ジャージを来た集団もいて、様々だ。
 そこから数十分、実家の近くのバス停で降りるのは、あたしと他に三人程だった。
 あたし以外は、バス停そばの複合施設やパチンコ店に向かって行く。
 それを見やりながら歩くが、昨日の今日で、気分は落ちていった。
 実家の店を横目に、奥に進む。
 昔から変わらない一軒家。

 ――けれど、変わらないものなんて、無い。

「あれ、義姉(ねえ)さん、お帰りなさい」

「――照行くん」

 玄関を開けようとすると、それよりも先に、ドアが開き、一瞬うろたえる。
「すいません、驚かせて」
「だ、大丈夫。……どうしたの」
 あたしは、彼の姿を見て、戸惑う。
 昔のジャージ姿で、タオルを頭と首に巻いている。
「ああ、これから草むしりです。子供産まれたら、あんまり手が回らないだろうから、今のうちに片付けられるとこ、やっておこうって、奈津美に言われて」
「――そう」
 言いながら、彼は持っていた軍手をはめる。
 心なしか、うれしそうに見えるのは――親になるという事からなのか。
 すると、再び玄関のドアが開いた。

「お姉ちゃん!来たなら、入ってよー!」

「奈津美」

 言いながら、奈津美はあたしの腕を取って、家の中に入る。
 そのお腹は、だいぶ大きくなっていて、一目で妊婦とわかるくらいになっていた。
「……アンタ、もう、平気なの」
「え?ああ、つわりは、落ち着いたわよ。今度は、運動不足」
 妊婦の事情はわからないので、そう、と、返すだけにした。
 リビングに入れば、母さんが忙しそうに何かを書いている。
「――ああ、お帰り、茉奈」
「……何してんのよ」
 あたしが眉を寄せると、母さんはニコニコと笑って言う。
「来週、店再開だからさあ、せっかくだし、何か新メニュー考えようかと思ってねぇ!」
 張り切っているのが丸わかりで、あたしは、息を吐いた。
「足、無理しないでよね」
「わかってるわよ!」
 それ以上は話にならないだろうと、話題を変える。
「それより、ハイ。アパートの部屋の合鍵」
「ああ、そうだね。週一で掃除すれば良いのかい?」
 うなづきながら、母さんは鍵を受け取ると、あたしに尋ねる。
「うん。でも、電気とか全部止めるから、ワイパーでサッとするくらいで良いわよ。帰って来てから、ちゃんとやるし。換気はお願い」
「ハイハイ。ああ、でも、奈津美が持って来た掃除機、コードレスだから、持って行けるんじゃないのかい」
 そう言って、母さんはソファに座った奈津美を見やる。
「うん。まだ新しいから、バッテリー()つわよ」
「――そう。まあ、任せるわ」
 すると、奈津美はあたしをのぞき込んできた。
「……何」
「いや、お姉ちゃんって、キャリアウーマンまっしぐらだなー、って」
「――別に。ただ、仕事してるだけよ」
「……それが、スゴイんだよ。こうやって、出向とかお願いされるって、デキる社員だってコトじゃない」
「……ほめても何も無いわよ」
 あたしは、眉を寄せると、奈津美を見やる。
 すると、奈津美は、ニッコリと笑って返した。
「別にいらないー」
「――じゃあ、黙ってなさいよ」
「また、アンタ達は……」
 言い合いが始まりそうになると思ったのか、母さんがあきれた口調で割って入ってきたので、そこで会話は終了となった。
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