Runaway Love
「――……さん、茉奈さん」

「――……え……?」

 名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開ければ、至近距離に野口くんのキレイな顔で、息が止まりそうになった。
 けれど、彼は、心配そうに続けた。
「……大丈夫ですか……?ずっと、眠ってましたけど……」
「え」
 あたしは、身体を起こし、辺りを見回す。
 外は雨が降り始めたようで、ポツポツと、窓を叩く音が聞こえた。

 ――ああ、そうだ。

 眠っている野口くんを見ながら、隣でベッドにもたれかかっていたら、眠気が襲ってきて、目を閉じてしまったんだ。
「え、あれ、ごめんなさい。今、何時……」
「――四時半です」
 片付けを終えたのが、二時前だったから――二時間半。
「……すみません、オレが先に寝てしまったから……」
「ううん、あたしも、つられちゃったし」
「……最近、ちょっと、寝不足だったんで――」
 語尾が消えていくのは、後ろめたい事だからか。
 あたしは、野口くんをのぞき込む。
「……また、徹夜?」
 すると、彼は苦笑いで首を振った。
「――やめましたよ。茉奈さん、怒るでしょう?」
「そりゃあ……」
 じゃあ、何で――と、続ける前に、彼が先に口を開いた。
「……眠れる訳、無いじゃないですか。……あなたと離れなきゃいけないのに」
「……駆くん……」
 そっと、あたしの手を握り、野口くんはあたしを見る。
 彼は、泣きそうな表情で――ドキリ、と、心臓が鳴った。


「……茉奈さん。――……偽装、終わらせましょう」


「――……っ……」


 けれど、彼の言葉で――その心臓は一瞬で冷える。

 ――初めから、終わる事が前提の関係なのはわかっていたのに、胸が痛い。

「……ちょうど良い機会ですよ。……遠恋が続かなかった、ってコトにすれば……」

 そう言いながら、野口くんは、あたしの頬に手を当てる。
 目尻をそっと指で拭われ、自分が泣いていた事に気がついた。

「――泣かないでくださいよ。……離したくなくなります」

「……駆くん……」

「それに、もう一度、初めから――やり直せます」

 以前、言われた事を思い出し、あたしは、流れてくる涙をそのままに、うなづいた。

 あたしの答えが出るまでは待つ。
 でも、偽装は終わり。
 改めて、告白する、と。

「大阪から戻ったら――告白、させてください」

 そう言った彼の目には、涙が浮かんでいる。
 あたしは、そっと、目尻に指をあてて、拭った。

「――……ありがとう」

 言い終わらないうちに、きつく抱き締められる。

「――……やっぱり……最初から、ちゃんと告白してれば良かった……っ……!」

「駆くん」

「振られるのが嫌で怖くて――ズルく立ち回って、あなたを縛って――……」

 絶対に離さないと言うように、力をこめられるが、痛みなど感じなかった。

 ――痛いのは、彼の心の方。
 ――……そして、あたしの心だ。
 
 あたしは、かすかに首を振って彼の言葉を否定した。

「そんな事無い。……あなたには、たくさん、助けられたわ。……初めて、男の人といて、楽しかった。……本当よ……」

「――茉奈さん」

 野口くんは、あたしの髪に顔をうずめる。

「――……ありがとう……ございます……」

 そう言って、そっと離れた。

「――……帰りますか。……送るのも、最後ですね……」

 無理矢理な微笑みに、あたしは、自分の涙を手でこすり、うなづいた。



「――じゃあ……ありがとう……」

「……ハイ。……それじゃあ……」

 降っていた雨は、あっさりと止んでいたが、道は濡れたままだ。
 水たまりに注意しながら、車から自分で降りると、あたしは、野口くんに微笑む。
 たとえ、作られたものと見抜かれても、彼に、悲しい顔を見せたくはなかった。
 ――だって、この選択が間違っていないと思いたいから。
 あたしは、振り返らずに、アパートの階段を上る。
 部屋に着くと、いつものように聞こえるエンジン音。
 去って行く野口くんの車を見送るのも、これが最後なのだと思うと、無性にさみしい。
 けれど――あたしを大事にしてくれた彼の想いを、無駄にしたくない。
 深呼吸をして、部屋に入る。
 すると、一歩ずつ足を進めるごとに、涙がこぼれ落ちていった。


「――……っ……!!」


 ――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――……!


 全部、全部、あたしのワガママなのに。


 あたしは、ラグにたどり着くと同時に、足の力が抜け、その場に崩れ落ちる。

 ――声を殺して泣き続けるのは、どうにも難しかった。
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