Runaway Love
「杉崎!このバカ!何、歩いてんだ!」

 すると、後ろから猛ダッシュで早川がやってきて、あたしを支えた。
「――……誰がバカよ」
「そこじゃねぇだろ。熱、下がってねぇだろうが!」
「何でいるのよ」
「経理部に領収証持って行ったら、お前が熱出してぶっ倒れたって聞いて」
「大丈夫よ、ちゃんと帰るから」
「大丈夫なワケねぇだろ!」
 あたしは、早川の必死な声に、眉を寄せた。
「――……うるさい。頭に響く……」
「え、あ、わ……悪い」
 すると、急に大人しくなり、心の中では苦笑いだ。
 ゆっくり歩くあたしに合わせ、一緒にロッカールームまで向かう。
「ありがと。……一人で帰れるから」
「うるせぇよ。――こんな時くらい、頼れ」
 あたしは、ロッカールームの入り口で手を離す早川を、チラリと見やる。
 心配しているのが、こちらにまで、丸わかりだ。
 ――ありがたいけど、でも、甘えるのは嫌だ。
「……タクシー呼ぶから、気にしないで。とっくに終業時間過ぎてるでしょ」
 時計は無いが、辺りの様子から、もうとっくに社員は帰っているようだ。
 人の気配は、しない。
「じゃあ、タクシーが来るまで一緒にいるからよ」
「いらない」
 粘る早川を、あたしは切り捨てる。
 ――お願いだから、放っておいて。
 これ以上は――あたしがあたしでいられなくなる。
「お前なぁ……」
 早川は眉を寄せてあたしを見下ろす。
 けれど、それを無視して、あたしは自分のロッカーからカバンを取り出し、鍵をかける。
 そして、一歩一歩、ゆっくりと歩いて、ロッカールームから出ると、不意に身体が宙に浮いた。

 ――……は??

 一瞬、自分が、どこにいるのかわからなかった。

 けれど、目の前には、見慣れてしまった早川のお高いスーツ。
 そして、あたしを軽々と抱きかかえる腕の感触に、自分がお姫様抱っこというものをされていると、ようやく理解した。

「ちょっ……!!早川!!」

 慌てるあたしを、完全に無視して、早川は足を進める。
「やだ、下ろして!」
「うるせぇ、大人しくしとけ。また熱上がるぞ」
「そういう問題じゃない!」
 スタスタと歩く早川を、どうにか止めようと、あたしはもがくけれど、ビクともしない。

 ――何、コレ。どうしよ……。

 朦朧としてきた頭で、浮かんできたのは、そんな事。
 こんなので外に出たら――何を言われるかわからない。
 誰かに見られないうちに、早く離れたいのに。
「――杉崎?」
「え?」
 呼ばれて、思わず顔を上げると、目の前に早川の顔。
「おい、マジで大丈夫か?医者、救急の方やってるだろうから、連れて行こうか?」
「い、いいわよ。それより、ホントに下ろして」
「けど」
「何言われるか、わかんないでしょ。こんなの……」
 あたしの言いたい事が、ようやく理解できたのか、早川は渋々あたしを下ろした。
 正面玄関直前だったので、どうにかセーフか。
 そう思ったが、納得した訳ではなかったようだ。
 早川は、あたしの前にしゃがみ込むと、背を向けた。
「な、何よ」
「抱きかかえるのが嫌なら、おんぶだ。歩いて帰れると思うなよ」
 あたしは、言葉に詰まる。
 コイツは、どうしても、あたしを放っておいてくれないようだ。
 ここでゴネていると、警備員がやってくるかもしれない。
「ホラ」
「……わかった……」
 あたしは、ため息をつき、そっと早川の背に身体を寄せた。
 早川は、一瞬、ビクリとしたが、すぐに、スッと立ち上がった。
「お、重いでしょ……ごめん……」
「何言ってんだ。大したコト無ぇぞ」
 自分のカバンを持ち直し、早川は正面玄関を通り、平然と外に出た。
 改めて自分の状況を考えると恥ずかしくなるが、もう、あきらめるしかない。
 正直、歩くのもしんどいのは確かなんだから。

「――落ちるなよ」

「わかってるわよ」

 せめて、密着はしないように、あたしは自分のカバンを早川の背と自分の間に挟んで、できるだけ離れるように心掛けた。
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