Runaway Love

72

「じゃあな、ごちそうさん」
「……うん。……こっちこそ、無理聞いてくれてありがとう」
 玄関で靴を履きながら言う早川に、そう返す。
 岡くんの事は、完全にこちらの都合なのだから。
「――いつでも頼れ。何でもいいから」
「そ、そういう訳にはいかないでしょ」
「俺がそうしてほしいんだって」
 早川は、そう言って口元を上げると、隣の部屋に戻って行った。
 あたしは、ドアに鍵をかけ、先程まで二人で他愛ない話を続けていた部屋を振り返る。

 ――やっぱり、気は楽なんだ。

 岡くんや、野口くんが相手の時のように、どこか年上ぶらなくても良い。
 同い年の上、付き合いは三人の中で一番長いし、お互い良い面も悪い面も知っているから、変にカッコつけずにいられる。

 でも――それが恋愛感情なのかは、わからないままだった。


 翌朝、いつも通り早川に待ち伏せされ、一緒に会社へと出勤する。
 既に夫婦扱いのような目で見られるのは不本意だったが、強く否定するのも気が引けた。
 だが、仕事に関しては、妥協できない。
 古川主任が課したタスクを、今月中までには達成しなければ。

「杉崎主任、ここって――」

 そう、気合いを入れると、早速質問がやって来る。
 新人二人は、当初に比べれば、だいぶ落ち着いてくれたようで、ケアレスミスはあっても、重大なミスはする事も無かった。
 ――ただ、これは、研修も兼ねているから、あたしが見ていられるが、本当に大変になるのは、むしろ、あたしが帰ってからだろう。
 できる限りの対策ができるよう、自分用のパソコンでマニュアルを作ってみようか。
 そう思い、古川主任にかけ合ってみた。

「ええ、それは任せます。余計な手間が省かれるのなら、願ったりですので」

 相変わらず、言い方はアレだが、ひとまずOKはもらえた。
 あたしは、自分の席に着くと、思いつく限りの仕事を書き出す。
 そして、それについてのパソコン操作や、書類の見方、本社に問い合わせる時の部署の選択方法など、ひとまず、書き殴っていく。
 野口くんだったら、最初からパソコンで作れるんだろうけれど、あいにく、あたしは書いた方が頭が整理できるタイプだ。

 ――野口くん――……。

 ふと、この前の電話を思い出す。
 強がってはいないだろうか。
 電話では、顔が見られない。
 テレビ電話にしようと思えばできるだろうが、顔を合わせるのは、まだ、心の準備が必要だ。
 ――帰ったら告白すると宣言されたのだから。

 あたしは、無意識にため息をついた。


 今日から、早川は先週出張で向かって行った中国四国地方を、再び回り始めた。
 今回は、他に数人の営業も連れて行く。
 自分が目をつけていたところを、その人達に任せるらしい。
 忘れていたけれど、早川も、本社に戻る予定なのだ。

 ――十月の大阪支社開始と同時に戻って、一ヶ月間課長補佐で仕事を引き継ぎ、その後、営業一課課長任命予定。
 
 昨日、そう言っていたのを思い出す。
 なので、その下準備を進めているようだ。
 あたしも、負けないように――ラストスパートをかけなければ。
 おそらく、最終週にはすべて新人にさせなければならないのだ。

「古川主任、ちょっとよろしいですか」

 あたしが声をかけると、彼はパソコンをにらむように見ていた顔を上げる。
 念のために、あたしは立ち上がり、向かいの席の彼のそばに行く。
 そして、少々声を抑えて尋ねた。
「――大阪工場の件、何か聞いてられますか」
 すると、彼は、チラリとあたしを見上げ、視線を戻す。
「大体のところは。ただ、今は工場建設が進んでいるとだけしか発表されていないでしょう」
 どうやら、開始時期や、詳しい事はまだ未定のようだ。
「工場事務の方は、どう扱えば良いでしょう?」
「――申し訳無いですが、こちらには工場自体が無いので、私に聞かれてもどう答えてみようもありません」
 あたしは目を丸くするが、すぐに納得した。
 ――そうか。
 こちらは完全に営業専門。
 南工場で経験したような事務作業は、まったく無いのだ。
「では、工場事務用のマニュアルも必要になりますか」
「――……あなた、工場の方の事務も経験ありましたか」
「ハイ。こちらに来る直前まで」
 詳しい事情は言わない。
 彼には直接関係の無い事だ。
「――そうですね。では、ひと通りの仕事など、作り終えたら、ひとまず見せてください」
「わかりました」
 あたしはうなづくと席に戻る。
 そのやり取りを、新人二人が息をひそめて見守っていて、思わず苦笑いが浮かんでしまった。
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