Runaway Love
 翌朝、ゆっくりと目を開け、見慣れた自分のアパートの天井という事を理解するのに、数分かかった。
 そして、起き上がり、カーテンを開けると、既に日は上がっていて、時計を見やれば七時半を過ぎていた。
 一瞬ギクリとするが、今日は日曜だ。
 少し遅くなったが、荷ほどきをして、ルーティンをこなす。
 それが、帰ってきたのだと実感させてくれた。
 そして、買い物に出かけようと支度をし、鏡を見る。

 ――そこには、どこか吹っ切れたような表情の自分があった。


 支度を終え、靴を履こうとしたところでスマホが振動し、あたしは手に取る。
 画面には、着信――野口くんだ。
 あたしは、一瞬だけためらうが、通話状態にした。
「も、もしもし?」
『おはようございます、茉奈さん』
「おはよう、野口くん。昨日はありがとう」
『いえ、今、ご実家ですか?』
 そう尋ねられ、あたしは首を振る。
「ううん、自分のアパート。やる事もあるし――すぐに帰って来たわ」
 すると、野口くんは、少しだけ遠慮がちに言う。
『……そうですか。……あの……今日、時間空けられるなら、デート、しませんか』
「――……え」
 ためらうあたしに、彼は続けた。
『――……約束、覚えてますか』
 その言葉に、浮かんだのは、罪悪感だ。
「……ええ。……わかったわ」
『すぐに迎えに行っても大丈夫ですか?』
「大丈夫……だけど、野口くん、自分の部屋?」
『ハイ。大体、二十分ほどですね』
 あたしはうなづき、通話を終える。
 デート仕様の服を考えながらも、胸は痛む。

 ――帰って来たら、告白、させてください。

 そう言われたのを、忘れた訳ではない。
 ――けれど、見ないふりをしていた。
 大阪にいる時は、それで許されていたから。
 でも――ちゃんと向き合わないといけない。

 でないと、彼を解放してあげられないのだから。


 宣言通り、二十分ほどで、到着したとメッセージが入り、あたしは部屋を出た。
 見下ろせば、いつもの場所に、野口くんの車が見えた。
 あたしは、階段を下りると、彼の元へ向かう。

「おはようございます、茉奈さん」

「お、おはよう、野口くん」

 いつものように、キレイな顔で微笑む彼に、あたしはぎこちない笑みを返す。
「――どこか、行きたいところは?」
「え、あ」
 戸惑うあたしに、野口くんは困ったように笑う。
「……そんなに身構えないでくださいよ。――図書館でも行きますか?」
「あ、え、ええ」
 普段だったら、飛びついてしまう提案も、今は、ただうなづくだけだ。
 車の中は、BGMだけが流れ、あたしはチラリと運転している野口くんを見やる。
 いつものような態度。
 それは――無理をしているのか、判断がつかない。
「茉奈さん、恥ずかしいんで、あんまり見ないでくださいよ」
「えっ……ご、ごめんなさい!」
 無自覚にジロジロ見てしまったようだ。
 あたしは、慌てて視線を窓の外に向ける。
 見慣れた景色に、心は少しだけ落ち着いた。
「……一か月、どんなだった?」
「え?」
 あたしは、恐る恐る尋ねる。
 昨日、先輩が言っていた――遠恋で振られたというウワサは、大丈夫なのか、気がかりだった。
「ああ、まあ……。ちゃんと、遠恋でダメになった、ってふれ回りましたから」
「そ、そう。……何か言われた……?」
「はあ……。大野代理……部長からは、何も。外山さんには、自分の境遇と重ねたのか、仲間意識を持たれてしまいましたが。たぶん、部長は、勘付いてるんじゃないでしょうか。――オレ達の関係」
 そう言って、野口くんは、あたしをチラリと見やると、再び前を向いた。
「そうね……たぶん、大野さんは、気づいているでしょうね。……何か、意味深な事言われたし」
「え?」
「――一度、頭を真っ白にしてみたらどうだ、って。そうしないと、自分がどうしたいのかもわからないって――」
「――……そうですか」
 そう言うと、野口くんは、ウィンカーを左に出す。
 見慣れた建物は、いつも通りの姿で、あたし達を迎えてくれた。
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