Runaway Love
 カタカタ、カタカタ、と、聞き慣れない音に意識が浮上した。
 目を開ければ、いつもの自分の部屋の天井で、無意識に安堵する。
 横を向いても、音源は見つからないので、ゆっくりと起き上がると、部屋の壁に背を預け、岡くんがパソコンをすごい速さで打ち続けていた。
 すると、あたしが起き上がったのに気づいたのか、顔を上げる。
「あ、おはようございます。茉奈さん、具合どんなですか?」
「――……あ、うん。まあ、薬は効いてると思う……」
 岡くんは、ホッとしたようにうなづくと、パソコンを床に置いて立ち上がった。
 そして、ベッドの脇まで来て、あたしと目線を合わせる。
「良かった……。ビックリしたんですからね」
「……悪かったわね。事情は奈津美に聞いたんでしょ」
「だって、心配だったんですよ。メッセージ、送信できないし」
「仕方ないじゃない、こんな状況だったんだから。スマホは、いつの間にか電源落ちてたし」
 あたしは、少しだけふてくされて、そっぽを向こうとして、ようやく気がついた。
「あれ?……眼鏡なんて、してたっけ?」
「ああ、ブルーライトガードですよ。パソコン見っぱなしなんで」
 そう言って、岡くんは、眼鏡を外して笑う。
 弱っているせいなんだろう。
 ――その笑顔に、何故か、安心した。

「あ、茉奈さん、おかゆ、食べられそうです?」
「え、いいわよ。自分で、できるから」
 キッチンに向かおうとする岡くんを、慌てて止める。
 いくら何でも、甘えすぎだ。
 けれど、岡くんは、あたしをベッドに逆戻りさせる。
「ダメですよ!病人は、寝ててください」
 あたしに布団をかけながら、岡くんは言う。
 その手を押さえ、あたしは彼を見上げる。
「……ホントに、いいから……」
「何でそういうコト言うんですか。ダメですってば。――……今日は、言うコト、聞きませんからね」
「――……だって……」
 あたしは、手を離し、視線をそらした。
「……一人で平気なの。――……本当に……」

 ――だから、優しくしないでよ。

 素直に受け取れないんだから。

 あたしに優しくする人なんて、奈津美目当てでしかなかったんだから――。

 そこまで考えて、思い至った。
 この子、そう言えば、昔からの奈津美の友達――って事は――……。

 ――何だ。
 ――点数稼ぎだったのか。

 あたしを好きなんて物好き、いる訳ないんだから。

 ――別に、気持ちが無くたって、抱く事はできるんだろうし。

「茉奈さん、気分悪いですか?」
 黙り込んだあたしを心配するように、岡くんはのぞき込もうとする。
 けれど、すぐに横を向き、視線から逃れる。
「茉奈さん?」
「――もう、いいから」
「え?」
「……奈津美には、ちゃんと看病してくれたって、伝えておくから、安心して」

 ――アンタの評価は、下げないようにしておくから。

 ――あの晩、何があったかは覚えてないけれど、もう、無かった事にしてあげる。
 その方が、都合良いでしょ。
 罪悪感で、構ってくれなくても良いんだから。

 だから、せいぜい、奈津美の機嫌取っておきなさいな。

「茉奈さん――……?」
「ありがと。心配してくれて。――鍵は後でかけるから」
「茉奈さん」
 戸惑う岡くんを見ず、あたしは背を向けたまま、帰れ、と、告げる。
 けれど、岡くんは、動く素振りを見せない。
 急に静かになった部屋に、外の喧騒が入り込んでくる。
 子供がはしゃぐ声。学校は休みだからか。

「――茉奈さん、オレの言うコト、信じてくれてなかったんですか」

「え?」

 あたしは、チラリと、肩越しに岡くんを見やる。
 うつむいたまま――けれど、声は、少しだけ震えている。

「何ですか、奈津美の機嫌取れ、って。何で、奈津美が出てくるんですか」

「――え」

 あたしは、思わずそのまま起き上がり、岡くんの方を向いた。

「――何ですか、無かったコトにするって。その方が都合が良いって――」

 その言葉に、あたしは、手で口を押さえる。

 ――もしかして、さっきの……口に出てた……?

 さすがに、本人に言う事ではない。
 焦りを見せるあたしの顔を、岡くんは両手で包む。

「――ねえ、茉奈さん。どうやったら、信じてくれるんですか?」

 その問いに、言葉を失う。

 ――傷ついた表情に、傷つけたと、ようやく気づいた。
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