Runaway Love
 終業時間になり、ベルが鳴り響く。
 少々の時間延長後、全員で仕事を終える事にした。
 エレベーターで一階に到着すると、既に帰り支度をした社員たちが、それぞれ帰路についていた。
 あたしは、外山さんと二人でロッカールームに向かおうとすると、不意に、視界がスーツに変わった。

「――お疲れ様。何よ」

「お疲れ。この後、時間あるか」

 目の前の早川は、そう言って、あたしをのぞき込む。
「――おあいにく様」
「用でもあるのか」
「無いけど」
 あっさりと断ると、あたしは、時折振り返りながら歩く外山さんを追いかける。
 けれど、数歩歩いたところで、腕が引かれた。

「――ウワサなんか、気にするなって」

 そう言ってのける早川に、あたしの胸の中はざわりと毛羽立った。

 ――人が、散々悩んで、辞表まで出してるのに……!!

「――アンタは、それで良いでしょうけど……!」
 イラつきを含んだ言葉に気づかないヤツではない。
「おい、杉崎、どうかしたのかよ」
「どうもしないわ。いい加減、帰らせて」
 だんだんと遠巻きにギャラリーが増えてきたように思え、あたしは、早くこの場から立ち去りたかった。
 すると、掴まれていた腕の力が、ふっ、と、消え去り、代わりに抱きかかえられる感触。
 一瞬、何が起こったのかと思い、顔を上げる。

「――野口くん」

「……おい?」

 野口くんは、あたしを早川から引き離し、抱きかかえていた。
 身長は、早川よりも少し低いくらいだから、ちょうど、顔が胸の辺りだ。
 その温もりとともに、通常よりも速いだろう、鼓動が聞こえた。

「――いい加減にしてもらえませんか。……オレの彼女(・・・・・)なんですけど」

「――……は?」

 面食らったように、野口くんを見る早川は、すぐにあたしを見下ろした。
「……おい、杉崎?」
 あたしは、チラリと早川を見上げると、視線を落とす。

「本当よ」

 あたしは、即座に認める。
 ここでためらったら、疑われてしまう。

「何、冗談……」

「冗談じゃないわよ」

 あたしは、野口くんから離れ、引きつった表情を見せる早川を真正面から見上げた。

「――信じてもらえなくても、本当の事よ」

「杉崎!」

 それだけ言って、あたしはロッカールームへと足を進める。
 すぐ後ろから、野口くんもやってきた。
 どうやら、裏から出るようだ。
 そこへ向かう途中の視線は、好奇と、疑いと、非難。
 けれど、どうせ、本当の事なんて、誰も理解してくれない。

 ――別に、理解してくれなくて良い。

 興味の対象が、あたしから移れば、それで。

「杉崎主任、ひとまず、一緒に帰りましょう」
 後ろから、小さく、野口くんがそう提案する。
 あたしは、それにうなづくと、一旦、ロッカールームに入った。
 女子社員が多いので、ロッカールームは二部屋。
 単純に、呼び名は第一、第二だ。
 あたしは、手前の第一、外山さんは、隣の第二になる。
 数人の女子社員に軽く頭を下げ、すぐにバッグを取ろうとして、停止。

 ――また、昨日と同じ貼り紙。

 たぶん、一気に何枚もプリントしたのだろう。

 あたしは、大きく息を吐き、昨日と同じように貼り紙をむしり取ると、力の限り丸めてバッグに放り込んだ。
 遠巻きに見ている女子社員を尻目に、あたしは、何でもないような顔を保ちながら、ロッカールームを出たのだった。
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