Runaway Love
 思わず固まったあたしに、野口くんは吹き出した。
「え、ちょっ……何、冗談⁉」
「いえ、反応が面白かったので。冗談じゃないですよ」
 そう言って、また缶コーヒーに口をつけると、立ち上がり、あたしの隣にやって来た。
「一応、疑われないように」
「ああ、まあ……そうね……。週末は、靴を買いに行こうと思ってたから、一緒に行く?」
「そうですね。まあ、詳しい事は、また後でにしましょう」
 あたしがうなづくと、野口くんは、立ち上がったパソコンを操作し、未処理の箱から書類を取り出す。
 ――そうだ。ここは会社。仕事しなきゃ。
 いよいよ、部長の出向が来週からなのだ。
 そう思い、自分のパソコンを立ち上げた。

 その日は、午前も午後も、引き継ぎ業務と自分の仕事で目の回る忙しさだった。
 いつもなら、締めの方が忙しいのに、同時進行している分、追いつくのに必死になる。
「外山さん、今のうちに、今日分締めてしまおう」
「わかりました!」
 あたしが、外山さんに指示をし、
「杉崎、こっちのファイル確認済みか」
「はい、特におかしなところは無いです」
「じゃあ、次、こっち頼む」
 大野さんが、あたしに指示をする。
 野口くんは、税金関係で外出中。部長は、各部署への挨拶と根回しに行った。
 そんな状況で、ようやく全て終わったのは、八時半を過ぎたところだった。

「外山さん、帰り、タクシー使って。領収証、ウチの名前でもらって良いからね」

 部長が、帰り支度をしていた外山さんに、そう声をかけた。
「え、いえ、でも……」
「若いコ、一人で帰らせられないから。何かあったら、大変でしょ。今のご時世」
「そうよ。あたし達の事は気にしないで」
「でも……」
 尚も、気まずそうにしているので、あたしは外線から、短縮番号を押した。
 会社で御用達にしているタクシー会社だ。
 どの部署でも、七時以降になれば、会社の名前でタクシーを呼べる。
 まあ、不正防止で、大体の距離が、登録された家からのものと合っているかは確認されるが。
「――では、五分後に。よろしくお願いします」
 あたしは、問答無用、とばかりに、受話器を置きながら外山さんを見やった。
「もう、一台頼んじゃったからね」
「杉崎主任ー」
 外山さんは、ようやく、困ったようにだが、笑って返した。
「ありがとうございます。――あ」
 頭を下げると、外山さんは、何かに気づいたように、あたしを見た。
「もしかして、あたしが月中のチェックに参加させてもらえないのって」
「ああ、だって、何時間かかるか、わからないじゃない。若い女の子、残せないでしょ」
「ダメです!」
「え」
 あたしは、納得してもらえると思ったので、キョトンと返す。
 部内の人間は、全員、同じ表情だ。
「あたし、特別扱いされたくありません!遅くなったら、今みたいに、タクシー呼んで良いなら、なおさらです!」
「で、でも」
「せっかくの、仕事覚えるチャンス、奪わないでください」

 ――あ。

 あたしは、先日の自分の思考を思い出し、ハッとなった。

 ――なんて、失礼な事、思ってたんだろ。
 ――いつまでいるか、わからない、だなんて。

 先の事がわからないのは、みんな一緒だ。
 若いからといって、教えなくて良い訳じゃない。

「――ごめんなさい、外山さん」
 あたしが頭を下げようとすると、外山さんは、あせったように止める。
「違います、違います!杉崎主任を責めてるんじゃないです!――あたしが、二年目なのに何にもわかってないから……」
「違うわよ。外山さんは、ちゃんとやってくれてる」
「でも――「ハイハイ、そこまで。そろそろタクシー来るんじゃないのか」
 あたし達の言い合いが終わらないので、大野さんが仲裁に入った。
 その瞬間、警備から内線電話が来て、タクシーが到着したとの連絡だ。
「ホラ、外山さん、行かないと」
「ハ、ハイ」
 大野さんは、受話器を置きながら、外山さんに手を振る。
 あたしは、彼女と目が合うと、お互い苦笑いで返した。
「じゃあ、お先に失礼します!」
「気をつけて」
「お疲れ様」
 みんなに挨拶をすると、外山さんは、駆け足で部屋を出て行った。
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