Runaway Love

16

 いよいよ、部長が週明けから出向という事で、最終日の今日は昨日以上にバタバタしていた。
 特に、大野さんは部長の仕事の半分以上を引き継がなければならなくなり、大わらわだ。
「杉崎、悪い、こっちの伝票チェックして入力!」
「はい!」
 あたしは、工場の方から送られてきた伝票に不備が無いか、目を凝らす。
 日付や金額、相手先、商品名。
 納品先への支払いや、売掛、先々のスケジュールで必要な予算を確認。
 自分の仕事なのか、引き継ぎなのかもわからなくなってきた。
「杉崎主任ー!銀行行ってきますけど、何かありますかー?」
 外山さんは、バタバタと支度をしながら、あたしに尋ねた。
「大丈夫!ていうか、ごめん、今、それどころじゃないわ!」
「わかりました!行ってきます!」
 ドアが、バタン、と、閉められるが、その音すら耳に届かない。
 週末だから、今日中に出金処理は全部終えたい。
 ――あと、今週の締めのチェックと、入金処理と、ああ、人事に給与関係の引き継ぎ確認に行かなきゃ。
 頭の中をフル回転し、パソコンをにらみつけるようにして、キーボードをたたく。
「杉崎!ちょっと、部長と社長室行ってくるから!」
 大野さんは、そう言いながら、スーツの上着を羽織る。
 さすがに、部屋では暑さ対策で脱いでいるが、社長室となると事情は違う。
「行ってらっしゃい!」
「おう!」
 半ばキレながら叫ぶと、大野さんは、返事をしながら部屋を出て行く。
 伝票は、不備無し。今のところ、取引先への入金処理も、ネットで終わってる。
 後は――。
 確認しながら、机の上をまとめていると、不意に目の前に缶コーヒーが差し出された。
「え」
 あたしが見上げると、先ほどまで税務署に出かけていた野口くんが帰ってきていた。
「少し、落ち着きましょう」
「あ、ありがと」
 野口くんから、缶コーヒーを受け取ると、イスを後ろに下げる。
 基本、デスク上で飲み物を口にはしたくないのだ。
 万が一、こぼした時が恐ろしいから。
「――いただきます」
「どうぞ。――みなさん、出払ってます?」
「ええ。部長は、朝から出てるけど、さっき大野さんが、一緒に社長室に行くって言ってたわ。外山さんは、銀行」
「そうですか」
 あたしは、缶コーヒーを開けて、一口飲む。
 ほう、と、息を吐くと、頭が少し落ち着いてきた気がした。
「ありがとう。外、暑かった?」
「かなり。年々、暑くなってますよね。――さすがに、前髪、どうしようかと思って」
 野口くんは、そう言って、前髪を両手で上げた。
 額に光っている汗が、妙にキレイで、あたしは思わず視線をそらす。
 ――元々は、キレイな顔をしているんだな。
 夜にしか見られなかったから、明るい中で見るのは初めてだ。
「杉崎主任?」
「え、あ。……もう、上げても良くない?」
「ええー……」
 野口くんは、不満そうに眉を寄せた。
 まるで、子供のように。
「だって、隠してたら、コミュ障も治らないかもしれないじゃない。ちゃんと、顔を見て話さないと」
 あたしは、クスリ、と、笑うと、缶コーヒーを一気に飲み干した。
 小さな缶なので、あっさりと空になる。
「――こういう事ですか?」
「え」
 野口くんは、あたしの隣の外山さんの席に座ると、こちらをジッと見つめてきた。
 目が合って、挙動不審になりそうなところを必死で耐える。
「そ、そんなに見なくても良いけど……前髪で、どこ見てるのか、何考えてるのか、わからない、って、相手が警戒心を持っちゃうと思うのよ」
 自分で言って、不意に、岡くんの事を思い出す。
 ――あのコは、いつだって、あたしを真っ直ぐに見ていた。
 鳴ってしまう心臓は、もう、病気だと思えばいい。
「――そう、ですか……。……検討してみます」
 若干、落ち込んだ雰囲気だったが、野口くんは、すぐに自分の仕事に戻った。
 あたしも、少しだけ落ち着いた頭を、再び回転させ、午前の仕事を終えた。
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