Runaway Love
「おう、二人、順調そうで何よりだなぁ」

 お昼を終え、部屋に戻って来た大野さんは、あたしと野口くんを交互に見ながらニヤニヤと笑う。
「――大野さん、ひとつ間違うとセクハラですから」
「杉崎、目が怖ぇわ。一応、心配はしてるんだぞ」
「何ですか、それ」
 あたしが聞き返すと、大野さんは、自分のイスに、どかり、と座る。
 この人は、事あるごとに思うが、割と行動が豪快だ。
 細身の外見は、神経質そうに見えるのに。
「ホレ、営業の早川が、まだ、ちょっかい出してるだろ」
「――あれは気にしないでください。ただの習慣ですから」
「なら良いんだけどよ。野口にも、手のひら返したように、女どもが群がって来るから」
「一時的なものです」
 野口くんは、自分のパソコンをにらむように見ながら、マウスを動かす。
 チラリと大野さんを見やり、そう言うと、また手元の書類に目を落とした。
「戻りましたー!」
 すると、外山さんが、駆け込むように入って来る。
 時間を見やれば、ギリギリだった。
「あ、杉崎主任、午後から、ちょっと見てもらいたいんですけど、大丈夫ですか?」
 デスクに伝票と納品書を出しながら、外山さんはあたしをのぞき込む。
「ええ、ひとまず、大丈夫」
「そしたら――」
 あたしは、イスを動かし、外山さんの質問に一つ一つ、できるだけ丁寧に答えた。
 この前の事で、反省したので、できるだけ教えられる事は教えていこうと思う。
 あたしがいなくなっても、きっと、このコなら頑張ってくれると思えるから――。

 自分の仕事と並行しながら、外山さんに教えていると、あっという間に当日締めの時間だ。
「じゃあ、一回プリントアウトして、チェックで。OKなら全部郵送。明日で良いから」
「ハイ!」
 外山さんは、張り切ってうなづく。
 あたしは、帳簿ファイルを出すと、今日の分の記帳と計算ミス等が無いかチェックし、閉じた。
「全員、今日の分は終わりそうか」
「はい、大丈夫です」
 大野さんが電卓をたたきながら尋ねてきたので、あたしは代表で返事をした。
 野口くんは、既に、パソコンを落として、片付けを始めている。
「じゃあ、先に上がってくれ。オレは、ちょっと、社長のトコ行かないとだから」
「わかりました」
 返事をすると、ちょうど終業時間になった。
「それじゃあ、お先に失礼します」
「おう、気をつけてな」
 あたし達は、デスクを片付け、大野さんにそれぞれ挨拶をして部屋を出る。
「大野代理、大変そうですね……」
 外山さんが、振り返りながらつぶやく。
「そうね。でも、あたし達が代われる訳でもないし――少しでも、大野さんの負担にならないようにするだけよ」
「ハイ!あたしも、ちゃんとできるように頑張ります」
「ありがと。――でも、頑張りすぎないでね。飛ばし過ぎると、あっという間に限界きちゃうから」
 あたしがそう言うと、外山さんは一瞬止まり、表情を厳しくしてうなづく。
「……ハイ。……同期にも、いましたから――わかります」
「え」
 エレベーターを待っている間、外山さんは、珍しく視線を落とした。
「……最初、すごく張り切って仕事してたんです、そのコ……。でも、徐々に落ち込んできて……半年で辞めちゃいました……」
「――……そう……」
 よくある話ではある。
 新人の頃に描いていたものと現実とのギャップは、思い描いたものがハッキリとあればあるほど、キツく感じてしまう。
 そして、徐々に精神をむしばんでしまって――最後には辞めてしまう。
 そんな人は、たくさん見てきた。
 順風満帆な人なんて、滅多にいない。
 どう折り合いをつけるかだろう。
「だから――あたしは、幸せなんだろうな、って、思います」
「そっか。……でも、ちょっとでも何かあったなら、すぐに言ってちょうだいよ」
 ポン、と、エレベーターの到着音が響く。
 外山さんは、最後に乗ると、あたしに飛びついた。
「ありがとうございますー!杉崎主任が先輩で良かったです!」
「え、ちょっ……外山さんっ……!」
 ふわり、と、香る甘い匂いに、思わずドキリとしてしまう。
 こんなに感情表現が豊かなコだったのね。
「あ、すみません。ちょっと、うれしくなっちゃって」
 すぐに離れると、彼女は、バツが悪そうにあたしを見た。
「ううん、そう言ってくれるのは、嬉しいわよ」
 あたしは首を振る。そんな事、言われたのは初めてだ。
「あ、でも、野口さん、ごめんなさい」
「え?」
「杉崎主任に抱き着いちゃって。うらやましかったですかー?」
「――別に」
 矛先が自分に向かってきたのに驚いたのか、野口くんは、少しだけ視線をそらしながら、そう言った。
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