Runaway Love
 エレベーターが一階に到着すると、全員でロッカールーム方向へ向かう。
「じゃあ、お疲れ様でしたー!」
 外山さんは、隣の第二ロッカールームのドアを開けて入っていく。
 それに続き、あたしは、自分の第一ロッカールームに入ろうとして、思い出した。
「あ、野口くん、ちょっと待って」
 裏のドアを開けようとした野口くんを、慌てて呼び止める。
 彼は、振り返ると、あたしの方まで戻って来てくれた。
「どうかしましたか」
「借りてた本、持って来たから、返すね」
「え、もう、読み終わりました?」
「ええ。止まらなくて。――でも、言ったでしょ。週末で読み終えるって」
 すると、野口くんは、うれしそうにうなづいた。
「――本当に、好きなんですね」
「だから、言ったでしょ」
「そうでした」
 野口くんは、ちょっと考え、あたしを見下ろす。
「どうします?まだ、最初の方ですけど……読む時間取れそうなら、持ってきますよ」
「え、ホント⁉」
 思わず跳ねそうになったが、必死でこらえた。
 ここは、まだ、会社だ。
 あたしは、野口くんを見上げ、うなづく。
「じゃあ、お願いしていい?……あたし、母さんの様子見に行かないとだから……」
「わかりました。明日、持ってきます。……でも、送らなくて良いんですか?」
「ううん、大丈夫。……気にしないで。じゃあ、ちょっと待ってて」
 野口くんは、微笑みながらうなづく。
 あたしは、ロッカールームに急いで入り、自分のロッカーを見て――硬直した。

 ――”いい気になるな、ブス”

 また、同じような紙が、ロッカーのドアに貼られていた。

 真っ白になった頭を、どうにか引き戻し、あたしは、その紙を剥ぎ取ると、ドアを開ける。
 幸い、中は無事だったので、バッグを出して再びドアを閉めて鍵をかけた。

 ――……ああ、やっぱりダメかぁ……。
 
 あたしは、うつむいて、唇を噛む。

 ――……どうしたら、収まってくれるんだろう。

 あたしは深呼吸し、ロッカールームを出た。
 すると、野口くんが、険しい顔をしながら、スマホに視線を落としている。
「野口くん……?」
 声をかけると、我に返ったようで、勢いよく顔を上げた。
「あ、す、すみません」
「どうかした?」
「いえ。――大丈夫です」
 お互い、少しだけぎこちなく言葉を交わす。
 あたしは、バッグから本を入れた袋を取り出すと、野口くんに手渡した。
「ありがと。――……やっぱり、本は持って来なくていいわ」
「え」
「――……ごめんなさい。……良く考えたら、母さんの面倒見なきゃだと、読んでる時間取れないかなって……。久し振りで浮かれちゃって、頭から抜けてたわ」
 あたしは、そう言って頭を下げると、正面玄関へ向かう。

 ――野口くんが、何かを言いたげにしていたのは――気づくはずもなかった。
 
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