Runaway Love
 昔から憧れていた”けやき”に、一番最初に、裏口から入るとは思わなかった。
 ドアを開け、平然と進んで行く岡くんの後を、恐る恐るついて行く。
 すぐに休憩室のようだが、今は八時過ぎ。まだまだ営業時間だ。
 岡くんは、店につながるドアを開けると、辺りを見回した。
「あれ、春兄(はるにい)、じいちゃんは?」
 すぐ目の前には、盛り付けをしている途中の男性。
 こちらを見やり、キョトンと返す。
 お兄さんのようで、岡くんよりも身長は高いようだ。
 細身だけど、顔や雰囲気は彼に似ている。
「そっちのテーブルにいるだろ。今、取材中」
「あれ、今日なの?」
「スケジュール表、見ておけよ」
「ハイハイ」
 いつもの岡くんとは、イメージが違うような、いつものような。
 不思議な感覚で、二人のやり取りを見ていると、不意に後ろの少し体格の良い男性と目が合った。
「将太、そちらは」
「奈津美のお姉さんで――茉奈さん。食材引き取ったお礼持って来てくれたんだよ」
 すると、男性二人で顔を見合わせる。
 あたしは、その反応に嫌な予感がした。
「お、岡くん……まさか、アンタ……」
 ――あたしの事、話してないでしょうね⁉
 そう、続けたかったけれど、先に答えが出てしまった。

「ああ、初めまして!将太から、もう、耳にタコができるくらいに、お話は聞いてますよ!」

「――……え……」

「春兄!」

「良かったな、将太。進展したのか」

涼兄(りょうにい)!!」

 ……何て事……。

 あたしは、頭を抱えたくなりそうなのを必死で耐えて、岡くんをにらみ付ける。
「……ま、茉奈さん……あの……」
 少々引きつりながら、あたしを振り返る岡くんに、持っていた紙袋を押し付けた。
「――……この度は、大変お世話になりました。母から、くれぐれもよろしくお伝えください、との伝言です」
 あたしは、二人に頭を下げると、そのまま踵を返す。

 ――どうして、アンタは……!!

 まるで、外堀から埋められているようで、頭が痛くなってきた。
 少なくとも――お兄さん達には、あたしの話をしているという事。
 すると、ドアを開けたところで、腕を強く引かれた。
「待ってください、茉奈さん!」
「――離して」
 あたしは、身をよじりながら、岡くんの手から逃れる。
「頼まれた物は渡したから。後は、お会いできなかったおじいさんに、よろしくお伝えしておいて」
 それだけ言うと、あたしは歩き出す。
 このくらいの時間、バスくらい大きな通りで走ってるだろう。
「茉奈さん、待って!」
「帰る」
「送りますってば」
「いらない」
 後ろから追いかけてくる岡くんを無視し、あたしは足を進める。
「何かあったら、どうするんですか!」
 今度は、ふりほどけない力で、手首を掴まれる。
 あたしは、振り返り、彼をにらみ上げた。

「――……どうもしないわよ。……あったところで、岡くんには、関係無いじゃない」

「――……っ……」

 裏口から漏れる明かりだけが、岡くんの表情を浮かび上がらせる。

 ――そして、それは、とても悲しそうなものに見え、思わず口をつぐんだ。
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