曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第七話 港が見えるベンチにて(2)

 「パイロットで背が高くて、イケメンで優しくて。どこが普通なんですか」

 希空が理人を睨めば、彼は真摯な眼差しになった。

「仕事をしてて上を目指している。けれど、愚痴りもするし、好きな子とはデートしたいしイチャイチャしたい、いたって普通の男」

「……でも。なんで、私なんですか」

 彼ほどの男性を周りの女性がほうっておくわけがない。

「学生の時はパイロットになるために。入社してからはコーパイになるため、そして最近までは機長になるために。周りを見る余裕がなかったんだ」

 理人の言葉に聞き入る。

 それはそうだろうと思う。
 パイロットは狭き門で、憧れても一握りの人間しかなれない。
 
 前に聞いたことがある。副操縦士になるまでに大体五年、そこからさらに機長まで十年近くはかかると。

 なのに彼は三十二歳、エリート揃いのパイロットの中でも超優秀だ。

「……確かに」

 理人が希空を見つめて囁いた。

「機長になって、ようやく目を外に向けたら君がいたんだ」

 そんな理由だったのかと、希空はショックを受けた。

「……たまたま、ということはわかりました」

 思ったより低い声が出た。
 とても納得できる、だが嬉しくない。

「でも、それこそ周りはCAさんにGSさん、綺麗な人達ばっかりじゃないですか」 

「彼女達はチームメイトだからなぁ」

 理人が困ったように言う。
 なんだろう、凄まじく嬉しくない。

「命と責任を預かる仲間を、恋愛の目で見てはいけないと思ってる」

 それではまるで自分が戦力外通告されているようではないか。
 あんまりだ。
 スキルとキャリアが違いすぎるとはいえ、自分はパイロット達のことを飛行機を飛ばす仲間だと思っているのに。

「……もちろん気になった女性がいたら、口説きまくったとは思う」

 聞きながら、自分以外の(ひと)を口説いちゃ嫌だと思ってしまう。
 でも、それとこれとでは問題が違う。

「じゃあ、私はなんですか」

 どすの聞いた声で訊ねる。

「幸運の天使」

 理人は迷いもなく言い切った。

「は?」

「言ったろう?『雲晴希空にプッシュしてもらうと、到着地(アライバル)が好天に恵まれると」

 飲み会での冗談かと思っていた希空は呆然とした。

「……そんな……、神社のお守りみたいな……」

「わかるかな。伝説上の存在が、突然血肉を持って目の前に現れたんだ。しかも、女性だった」

 恋に落ちるに決まってる、と自信満々に言われる。

「……会ってがっかりしたでしょう?」
 
 偶像化した人物を実際に目にしたとき、落差はものすごいだろう。

「むしろ『仕事の時は凛々しくてカッコいい女性(ひと)が。プライベートではこんなに隙だらけで可愛いいなんて、詐欺だろう』とは思った」

 理人の言葉を咀嚼するのに、数秒要した。理解した途端、希空は真っ赤になる。

「パイロットになってから九年。気になったのは希空だけだ」

 囁かれながら手を握られて、希空は固まる。

「……私だけ?」
「ああ」

 自信たっぷりに言われたが、かえって不安が増す。

「……それは、たまたまヒナが卵から孵ったときに見つけたモノを親と認識するのと変わらないのでは……」

「インプリンティングというやつか。そうかもね」

 おそるおそる反論してみれば、ぷ、と吹き出された。
 眉がハの字になる。
 理人が『勘違いだった!』と気づいたとき、自分はどうすればいいのだろう?

「希空は俺のことをどう思っている?」 
「どう、とは」

 とぼけようとしてみる。

「男として。恋愛対象として」

 退路を絶たれた。
 じりじりと迫られて、たじたじと物理的に後退さろうとしたが、逆に動きを利用されて胸と腕の中に封じ込められた。

「ち、近いです……!」 

 なんとか手を突っ張って距離を取ろうとするが。

「離さない」

 熱量を孕んだ声に希空が見上げると、じっと理人が自分を見つめていることに気がつく。
 彼の瞳を見ていると、目が離せなくなった。

「希空?」

 そういえば、さっきから呼び捨てにされている。

「名前……」

 指摘したら、初めて気がついたという表情をされた。

「ああ、ごめん。ミカと君のことを話す時にいつも『希空』と呼んでいるから。つい、癖で」

 男二人の会話の中で、どんなことを言われていたのだろう。
 ますます身の置き所がなくなり、うつむく。
 すると覗き込まれた。

「情けない顔になってる」

 優しい顔で、への字になっていたであろう眉の辺りを撫でられた。
 頬もそっと触れられて、希空の体から力が抜けていく。

「でも、『雲晴さん』なんて、オフィシャルでないと呼ばない。君は俺にとって『希空』だから」

 強い視線で自分を捉えながら理人はキッパリと言い切る。

「……一柳さんは」
「理人」

 有無を言わさない笑顔で訂正される。
 逆らわないでおこうと、希空はおとなしく呟く。

「……理人さん」 
「理人」

 圧がものすごい。

「俺が希空って呼んでるのに。君だけ俺のことを『さん』付けはずるい」 

 反論する前に言葉を重ねられた、しかも不満そうである。
 しかしだ。

「無理です、年上でキャリアも上で雲の上の方を呼び捨てなんて……!」 

 希空は必死に抵抗した。

「理人さんで勘弁してください!」

 じぃぃっと見つめられるが、頑張って目をそらさない。
 やがて、わざとらしく肩をすくめられた。

「了解。()は勘弁してあげるよ」

 その言い方では、まるで未来があるかのようだ。
 彼の言動にいちいちときめいてしまう心臓をなんとかしたい。

「で? なにを言いかけてたのかな」
「……いつもこんなにフルスロットルなんですか」

 飲み会では静かに飲んでいたから、こんなにグイグイ来る人だと思っていなかった。

「希空のいいたいことは、つまりVNAV SPDってことかな? 確かにそうかも」

 キョトンとした顔をしていたのだろう、最大上昇推力を維持しながらピッチ角度を調整することだと教えてくれた。
 ……とりあえず。目の前の彼のテンションが、飲み会の時より遥かに上昇しているのはわかったが。

「なんでですか?」
「希空とデートできて、緊張しているんだ」

 全く見えない。

「舞い上がっていると言ってもいい」

 もっと見えない。

「一目ぼれだったんだ、付き合って欲しい。……できれば結婚前提で」

「……は?」

 この人はなんと言っただろうか。

「もともと希空とは、飲み会の前から会って話したいなとは思っていた」

 プッシュの技術に注目していたと言われて、希空の顔が嬉しそうに崩れる。
 彼女の顔を愛おしそうに眺めながら理人が続けた。

「飲み会でますます君に惹かれて『この女(ひと)を自分のものにしたい』と思った」

 彼の双眸が熱い想いを伝えてくる。

「嘘……」

 希空のつぶやきに、男は苦笑した。

「君が疑うのもわかる。モテるからって四十すぎても独身の機長も確かにいるからね」
  
 頷くと、理人は真剣な表情で希空に訴えてきた。

「俺はそんなに器用じゃない。さすがに三十過ぎて女性に交際を申し込む時に、結婚を考えないということはない」

 ……嬉しいのに、おかしいと訝しんでいる自分がいるのも事実で。
 今までの自分だったら、会って二回目の男性にこんなことを言われたら、ドン引きなはずなのに。

 わかっている、理人が投げてくれる言葉は希空が心の中で欲しているものだ。

 理人はあらたまった表情で告げてきた。

「俺も希空も忙しい。次、いつ会えるかわからないから意思表示はしておかないと」

 ……たしかに。

「できれば、近日中にご家族へ挨拶に行きたい」
「え?」

「希空と、同居する許可を、まず欲しい」
「ちょ……っと待って」 

 理人への恋心が育っているのを自覚はしていた。だから彼に会いたいと思った。

 けれど、理人は階段の百段くらい上から、ここまで登ってこいと告げてくる。
 自分としては、彼と二人っきりでデートするだけで、いっぱいいっぱいなのだ。

「あ、頭がついてこないんです……」

 訴えたが聞いてもらえない。

「今、ミカのマンションに居候しているから、希空が付き合ってくれるなら、君の住みたい街に部屋を借りるよ」

 同居が無理なら、まずは泊まりに来てほしいと希われる。

「ま、待って……!」

 逃げを打とうとする希空を、理人は強い視線で射抜こうとしているかのようだ。

「待たない。俺は君に二ヶ月も与えた。迷う時間は十分にあったはずだ」

 金魚のように口がぱくぱくしてしまう。

 彼はメッセージで自分の反応を見てたのか。
 波のように寄せては怯えると引いて。
 楽しそうであれば、少しずつ近づいてきて。満を持して今日を待っていた。

「君は選ぶだけでいい。俺が好きか嫌いか」

 希空は目を見開いた。

「ずるい。それじゃ一択しかないです……あ」

 好きと告白したも、同然だ。

 男はニッと笑う。

「ありがとう。今がNOでも、必ずYESと言わせるつもりだった」
「ずるいです」

 希空は唇を尖らせ……、不安な表情になる。

「……あの。私が好きになったとして。理人さんが私のことを好きじゃなくなったら?」 

 好きの沼に落ちるまいと思っていたのに、引きずりこまれて溺れさせられて。
 挙句、彼のほうが沼から上がってさっさと立ち去ってしまったら、自分はどうなってしまうのか。

 理人はにっこりと笑った。

「簡単なことだ。俺をずっと好きでいさせればいい」 

 希空は呆然とした。

「……そんなの、どうすればいいのかわかりません……」

 仕事ぶりが好きだと言ってもらえた。
 飲み会での態度が可愛いと。
 そんなの無自覚で、意識してできることではない。

 彼女のためらいを見透かしたように理人が少し距離を開け、代わりに両腕を広げた。

「おいで」

 逃げ場がない。

 あとは希空がバンジージャンプのように、安全なところから彼へと飛び降りるだけだ。
 ……違う所はゴムベルトがないこと、と心の中で呟きながら、おずおずと希空は理人の胸に顔を寄せた。

 ぎゅ、と抱きしめられる。

「ありがとう、嬉しい」

 万感の籠った言葉だった。

「パイロットだから、あらゆる状況を予想して備えておかなければならないんだが」  

 彼がほう、と大きく息を吐き出したので、密着している希空もつられて動く。

「断られたらどうしようと、頭が真っ白だった」

 こんな大人の男性が、そんな気弱なことを思う? 

 そんなバカなと思いかけたとき。
 とっとっと……。
 早い脈が希空の耳に飛び込んできた。

 自分ではないような? 
 不思議な思いで、希空はそっと顔をあげた。 
 自分を見つめている理人の顔がほのかに赤い気がして、希空は男をまじまじと凝視する。

 理人がわずかに希空から目を逸らした。

「好きな女に告白を受け入れてもらえて、抱きついてもらってるんだぞ。どきどきするのは当たり前だろ」

 少し、ふてくされている気もする?

「……理人さん、恋してるみたい……」

 なおも見つめていたら、手のひらで目を塞がれた。

「みたいじゃない、してるんだよ」

 やや乱暴に言われ、口を開きかけたらもうなにも言うなとばかりキスされた。

「うんッ……」

 まぶたの上から手が離れていき、代わりにしっかりと後頭部と腰を引き寄せられる。
 何度も理人の唇が触れては離れ、角度を変えては貪られる。

 くったりとした希空の耳に理人はささやいた。

「腹が減ったろう? 食べに戻ろうか」
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