曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第九話

 希空は、じとんと理人をにらむ。
 すると、ますます悪い顔になった男がニッと笑んだ。

 わ、と店内が沸く。

 新しいダンサーが躍りながら登場してきた。
 彼女はテーブルの周りに移動してきて、客を一緒に踊るよう促しているのだ。

 手を振って拒否する客に、恥ずかしそうに踊ってみる女性もいたり、様々だ。

 そして希空達のテーブルにもダンサーはきた。

 蛇のような動きの両腕の振りと、膝を曲げたり伸ばしたりして、体を上下に揺らす。
 その動きを続けたまま『一緒に踊るまで去らないぞ』という姿勢を取られる。

 困った、と希空が理人を見れば彼が立ち上がった。

「理人さん……」

 どうしたの。トイレかな。
 この状況で一人を置いて逃げ出さないでほしい。

「あの」

 私も一緒に、と言いかけた。

 理人は、ズボンのポケットからなにかを取り出すと両手の指に挟んで打ち鳴らすと、なんと躍り始めたではないか。
 ……いつのまにかサングラスをしている。

 店内がどよめく。

 そして理人はダンサーと絡み始めた。
 初めてと思えないほど、彼は巧みに踊る。

 希空が呆然としていると、理人によって強引に立たせられた。
 そして彼は希空の前で楽器を打ち鳴らしつつ、腰をシェイクしたり胸から腹部までを波うたたせる。

 楽器も上手く、雰囲気にも場慣れしているようで、理人が初めてではないのだけはわかる。

 彼は彼女の周りで踊り、希空だけを見つめて踊る。
 サングラス越しなのに、熱い眼差しで見られているのがわかる。

 理人はセクシーで男らしく、自分の魅力をわかっているとばかりに自信たっぷり。
 彼は希空にだけ踊っている。
 言葉ではなく、体全体で口説かれている気持ちになる。

 ノリがいいダンサーも希空に向けて胸を突き出したり、髪を持ち上げたりしているのに、彼女のほうを気にする余裕がない。

 曲が終わると理人は、拍手喝采されてテーブルに戻ってきた。 は、と希空も現実に戻ってくる。

「すごい! 上手でした!」

「わかってくれた? 俺は見るというより、むしろ踊るほう」

 理人が使っていた楽器を見せてくれた。

「ジルって言ってね、指で挟むタイプのシンバルなんだ」

 別名『フィンガーシンバル』ともいうらしく、トルコではポピュラーなもの。

「こうやって使う」

 希空の両手の親指と中指に一枚ずつ紐をくぐらせ、打ち鳴らさせてくれた。

「楽しいだろ」 

 ニコリと笑いかけられて、希空は勘違いしていたのを、理人に知られていることを悟った。

「……すみません……」

 申し訳なさに、しゅんと項垂れる。

 すると耳をつ……と指で触れられる。
 思わず、希空は体を反応させた。

「ねえ、希空? 俺は、君が思っているほど不実じゃないよ」

 自分を見つめる理人の目が熱と欲を孕んでいる。
 君がほしいという、男からのサインをはっきり感じた。
 もじもじして目を逸らせば、彼は体ごと顔を近づけてきた。

「女性のための躍りだけどね、今日は希空を口説こうと思って」

 理人が希空の耳に囁いてきた。

 ……やっぱり口説かれてたんだ。
 希空の体が熱くなる。

 黙ってしまった彼女を、男は愛おしそうに見つめる。
 密やかに、理人は訊ねてきた。

「俺を見て、セクシーな気持ちになった?」

 真っ赤になって希空は俯いた。

「希空?」

「………………なりました」

 自分でも聞き取れないくらいにかすかにつぶやく。
 すると理人は、サングラスをしたまま希空の腰を抱いて店を出た。

「……さすがに、パイロットがにわかダンサーしている動画なんて、撮られたらまずいから」

 苦笑している理人に、希空もいまさらに青くなる。

 髪の色や髪型まで指定がある、規律が厳しい航空会社のことだ。
 バレたら、理人になんらかの処罰を下されるかもしれない。

 いやだ。
 彼には自由に大空を飛んでいてほしい。
 咄嗟にそんなことを願った。

 希空が口を開こうとする前に、理人が指を彼女の唇にあてる。

「だから内緒にしておいて」

 希空はコクコクと頷いた。

「そろそろ足が痛くなってないか」

 理人が訊ねてくれたので、希空は正直に肯定した。
 しかし。

「あ、あのっ、歩けますから!」

 男がタクシーを止めようとしたので慌てて止めた。
 帰るだけなら、なんとかなる。

 ……恋心を急激に自覚させられてしまって、彼と離れるのは寂しいが。
 けれど、彼のほうも同じ気持ちだったらしい。

「希空を抱きたい。……いいか」

 男の欲を隠さない声や、彼の熱い体を感じる。

 初めてのデートなのに体の関係になってしまうなんてあまりにふしだらすぎる、とか。
 CAさんやGSさんじゃ簡単に遊べないから、近場だけど接触の少ない女を探していただけなんだろう、とか。

 危惧したり、憤慨したりする必要があったはずなのに、なにも考えられない。

 ただ、想いを込めて希空は潤んだ双眸で彼を見上げるしかない。
 理人も、そんな彼女をしっかりと見つめ返してくる。

 けれど、負けたのは男のほうだった。

「……こんなところで誘惑しないでくれ。我慢しきれなくなる」

 低くつぶやくと、理人は彼女の腰を抱いたままBCストリートへ出る。
 手をあげて、彼はタクシーを止めた。

「ホテルへ」

 命じている理人の声を、希空は彼の肩に頭を預けながら聞いていた。
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