曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜
第三章 二人でいれば、いつも晴れ

第一話

「希空。今日は何時に出れば出勤時間に間に合う?」

 ……あれからバスルームでナンダカンダして、一眠りした。

 今は午前十時。
 ルームサービスで頼んだ遅めの朝食を、差し向かいで食べていると理人に聞かれた。

「……えっと。家からの計算でいいですか」
「ああ」

「二十時十分には家を出たいです」

「わかった。このホテルはレイトチェックアウトサービスがあって十二時までいられる。その後はどうしたい?」

 希空はちらっと、壁にかかっている時計を見た。
 ……まさか、初めてのデートで朝帰りをするとは思わなかったので、洗濯物などが溜まっている。

 ここから家までは約一時間。
 洗濯や掃除をするのに一時間。
 十時プラス二時間は十二時。
 出勤するために出かける時間から差し引いて、あと八時間弱ある。

「あの」

 希空が理人を見上げれば、先に話しかけられた。

「まだ希空と一緒にいてもいいか」

 多分、自分の顔は輝いているのだろうと希空は思う。

「……はい!」
 
 結局、理人はホテルを早めにチェックアウトしてくれた。

「送らせてほしい」

 理人は己の懇願という形で言ってくれたけれど。
 ……多分、態度や表情から、彼女がこのまま別れするのを寂しがっていると察してくれたのだろう。

「ありがとうございます」

 普段の彼女なら、理人のことを考えて断るはずなのに、いそいそと承諾してしまう。
 
 ホテルのエントランスからタクシーに乗った。
 てっきりベリが丘駅に向かうと思っていたのだが。

「あれ?」

 駅を通り過ぎたので希空は理人を見た。
 
「このまま希空の家まで送る」

 秘密めいた微笑みを浮かべ、理人は運転手に見られないようシートの上で手を握ってくれた。
 なぜだろう。
 先ほどまでもっと濃い時間を過ごしていたのに。ただ、彼と指を絡めあっているこの時間がとても恥ずかしい。

 ……希空はいつのまにか理人の肩を借りてまどろんでいた。

「希空、着いたよ」

 起こされて目が覚めた。
 よだれを垂らしていないか、そっと理人の肩を確認してしまう。

 彼が買ってくれた服を持ってタクシーから降りる。

「……じゃあ」

 ここでお別れ。
 希空はこれから仕事で、理人も明日の仕事に備えて体を休ませなければ。
 だが、理人も降りてきた。

「話しておくことがある。希空の家に上がらせてもらっていいか」

 理人がこわばった顔をしていた。
 なにかあるのだろうと、希空はようやく思い至る。

 まさか。
 実は恋人がいるとか、結婚しているとか! ……思いかけて、ないと否定する。
 既婚者だったら、さすがにモテパイロットナンバーワンの座はミカに譲っていることだろう。

 不治の病、とかなら全力で支えたい。
 しかし彼は航空身体検査を行なっているのだ、体調不良なら発見されているはず。

 希空は色々考えたが、予想もつかない。
 本人から聞くしかないと覚悟を決めた。

「……どうぞ」

 ドアを開けながら、部屋の中は片付いていたか洗濯物を干しっぱなしじゃないか、頭の中で必死に思い出そうとする。
 が。昨日は相当舞い上がっていたらしく、服をとっかえひっかえしたことしか覚えていない。

「お邪魔する」

 理人が入ってくると、急に部屋が狭くなった気がする。

 とりあえず、散らかっていないことにホッとしながら希空は理人に座るように促した。
 お茶とコップを持ってきたら、理人がきちんと正座をしているので、希空も緊張してきた。
 
「……ペットボトルのお茶でいいですか」
「いただくよ」

 なぜか二人はギクシャクする。

「聞きたいんだが。希空はうちの会社のこと、どれだけ知ってる?」

 前置きもなく理人が切り出した。
 思ってもいない話題だったので、希空は目をまん丸くしながら答える。

「SWANのことですか? 大手の飛行機会社としか。後はううーん……」

 指を折って数え始める。

「関連会社にホテルや旅行会社のほか、GSさんが所属している派遣会社もありますよね」

 CAはスカイ・ワールド・エア・ニッポン直雇用である。

「協力会社にうちやケータリングに貨物輸送……」

 希空が務める会社も正しくは、SWANグランドハンドリングサービスという。
 要するに、SWANはグループのトップ企業だという程度しか認識していない。

「 すみません、ほかになにかありましたっけ」

 降参した。
 理人は硬い表情のまま告げる。

「結婚を承諾してくれた希空に隠しておくのはフェアじゃないから、言う」

 ゴクリ。
 希空は自分の喉が鳴ったのを、聞いた。

「SWANオーナー一族の名前は一柳」

 あ、そうなんだと思った。

「一柳……一本柳を英訳すると、single willow。だからスカイ・ワールドはウチの名字のイニシャルをもじりで……白鳥は洒落なんだけど、コーポレートカラーは柳色で……」

 途中から希空は聞いていなかった。
 自分がみるみるうちに血の気が引いていくのがわかる。
 及び腰になったのを見透かされた。

「逃げないでくれ、希空。……だから言いたくなかった」

 理人に懇願されて踏みとどまったが、壁にへばりついてしまう。

「ひょっとして」
「ああ」

 聞きたくないけれど、聞くしかない。

「理人さんて、おおお御曹司ってことですか!」

 言葉こそ知っていたものの、希空は歌舞伎の俳優以外で、初めてその言葉を使った。

「そうだ」

 どうしよう。
 希空が咄嗟に思ったのは、そんなことだった。

 オーナーの名前はたしか入社時に聞いていたが、さっぱりと忘れていた。
 しかし覚えていたとして。好きになった人がたまたま珍しい名前だったからと、すぐにオーナーと結びつける人はどれだけいるのだろう。

「私……オーナーのご子息なんて、畏れ多い……」

 希空はなかば呆然とつぶやいた。

「別に殿様じゃないから」

「いやいやいや、なに言っちゃってるんですか?」

 パイロットでも、ピラミッドの上の人だと思っていたのに。
 一大グループのオーナーのご子息と自分。
 まるで天守閣のにおわす殿様と、地面に額をつけている農民くらいの格差だ。

 希空はきっちり認識してもらおうと理人に膝詰め談判する。

「いいですか。私と理人さんは、それこそ地上と上空一万メートルくらい差がありすぎですから!」

 しかし、理人はそんなことはないとあっさり否定する。

「経営に参画してないし三男だから、そんな大したものではないよ」

 ぶんぶんと頭を勢いよく横に振る。

「た、大したことあります、大アリです!」

 理人はなぜか楽しそうである。

「やっぱり想像した通りだった。希空は俺が金持ちの息子でも、目の色が変わらない」

「そんなことありません、顔色は絶対に変わってます!」

 真面目に答えて、大事なことに気がついた。

 もしかしたら理人はいずれ経営陣のほうに回るから、そのうち空を飛べなくなってしまうんだろうか。

「イヤです!」

 理人があっけに取られた表情になっているのも構わず、彼女は必死にすがる。

「そんなのダメです。理人さんは、あんなに綺麗に飛んで、ふわりと降りてくるのに! パイロットをやめないでください!」

 必死な彼女に、くく……と理人は笑い出した。

「希空、好きだよ。籍だけでも早く入れないか?」

 交際一日目にプロポーズされるなど予想もしていなかった。
 しかも天上界の男性から。
 希空は自分の顔色が赤くなったり青くなったり、ひょっとしたら白くもなってきた気がする。

「希空、大丈夫か」

 理人に心配そうに訊かれて、希空は目を伏せる。

「理人さんには、おうちで決められた婚約者さんがいたりとか。身分違いとかで、ご家族からきっと反対されると思うんです……」

 しかし、理人は強い瞳で希空の懸念を一刀で切り裂く。

「婚約者はいないし、家族に反対なんかさせない。我が家は自由恋愛だ」

「で、でも……」

 希空はシンデレラ・ストーリーに憧れていた。しかし現実になると、とんでもない! 
 彼女がブルブル震えていると、理人がそっと頬を撫でてくれる。

「俺が希空を守る。だから結婚してほしい」

 ごっくん。
 希空はこの二日間で何度目かの唾液を飲み込んだ。

 一昨日、パイロットを好きになることを、ようやくの思いで決意したのに。
 理人は、今度は千段上から希空に呼びかけている。

「ことはとてもシンプルだ。俺は希空が好きで愛している。君の人生がほしい。あとは希空、君だ」

「私っ?」

 声が裏返る。
 こんな重要な決断をたった一人で下さなければならないのか。

「俺がほしいかほしくないか、それだけ」

 ……自分が断れば、理人の隣に違う女性がいることになる。
 そんなの、嫌だ。
彼とどんなに釣り合う女性がいても、理人と別れる事はできない。
 男の熱さや情熱、甘い瞳を知ってしまった。 ほかの女性になんて渡せない。

 希空は観念した。

「理人さんが好きです。私は、あなたがほしいです」

 彼は、ほっとした表情になった。

「ありがとう。大事にする。あと、俺がオーナー一族の者だということは言わないでほしい。コネで機長になれたと思われたくない」

「わかりました」

 希空だって言いたくない。

「それはそうと、いつご両親に挨拶に行こうか」

 次から次へ畳み掛けられて、希空は金魚のように口をパクパクするしかなかった。
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