曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第二話

 機体は到着した際の処理を全て終え、那覇空港へ向けて折り返し出発する準備に入る。
 フライトナンバー(便名)が那覇行きSW一九一三便に変わった。

 飛行機はバックできない機種がほとんどだ。
機首(ノーズ)をトーイングカーに押してもらって、駐機したスポット(場所)からタキシングするスポットまでバックさせてもらう。

 すでに機体のノーズギアにトーバーという棒が取り付けられている。
 これは機体を滑走路まで押し出すためのものだ。

 トーバーを連結させるため、希空の運転するトーイングカーがノーズに近づいていく。
 グラハンの同僚が、希空が乗っているトーイングカーと飛行機を繋げた。

『SWAN1913, Tokyo Ground. Push back approved Runway 34.
(SWAN1913、こちら東京グランドです。
 滑走路34番へのプッシュバックを許可します)』

『Push back approved Runway 34. SWAN1913.
(滑走路34番へのプッシュバックを許可。SWAN1913)』

 希空にとって、ここから緊張する時間が始まる。

 整備しているとはいえ、数千トンもの巨体が一日千機も離着陸を繰り返す滑走路は、どうしても凹んだり歪みが生じる。
 避けずに走れば、凹凸を機体や乗客にもろに伝えることになる。

 タイヤ止めがはずされ、飛行機のパーキング・ブレーキもリリースされた。

「プッシュバック開始」 
 このタイミングでパイロットはエンジンを始動する。

 希空はアクセルを繊細に踏んで、注意を怠らずにゆっくりと機体を押して行く。
 景色がスローモーションのように流れる。

 トーバーには支点が二つあり、しかも緩衝機能はない。
 トーイングカーの振動が、キャビンの乗客にもわかるぐらい伝わってしまうから、運転には熟練の技術を要する。

 右に曲がる時はステアリングを右に回したあと、すぐに左へ切り替える。
 すると、車の動きがゆっくりとトーバーに伝わっていく。
 支点を中心に九〇度に折れたトーバーは、機体を右に旋回させていく。

 機体に思い通りのカーブを動いてもらうため、ステアリングは切りっぱなしではなく、頻繁に右や左に切って微調整をしていく。

「繊細に丁寧に」
 希空の唇から微かな音が漏れる。

 飛行機を動かす速度は一定、かつ『不快な負荷やショックを機体及び乗客に与えないように』と教官から教わった。

 希空は一日に平均二機か三機、多い日はチームで担当する六機全てのプッシュバックに就くことがある。
 新しい飛行機を押すたび、希空は呪文のように自分へと言い聞かせる。


『スタート、ライト・エンジン』
「ライト・エンジン、スタートOK」

 鳥が羽を震わせて、飛び立つ準備を始めるような。
 巨大な機体が目覚めはじめ、空気を振動させるこの時間が、なによりもワクワクする。

『スタート、レフト・エンジン』
「レフト・エンジン、スタートOK」

『白鳥』が自力で動き出せるようになるまで、あと少し。

『……エンジン・スタート、ノーマル』


 飛行機がタキシング開始する場所にぴたりと止まる。プッシュバックが完了した。


『OK、パーキングブレーキ、セット。
 グランド・イクイップメント・オールディスコネクト(地上設備を全て外してください)』 

「了解、いってらっしゃい」

 トーバーごと希空は離脱しながらSW一九一三へ心の中で話しかける。

「あなたの飛ぶ空が素敵なものでありますように」

 希空は次の飛行機を押すためにまた駐機場へ戻る。

「暑っつ……」
 
 緊張が解けたのか、気温を感じた。
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