曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第六話

 お色直しの為に、花嫁の控室へ希空は連れてこられた。

 これから白無垢に着替えるのに、不思議なことにスタッフが一人もいない。
 けれど、朝から緊張しっぱなしだった希空は行儀悪く伸びをした。

「私も白無垢着たかったし、理人さんの着物姿もみたいからいいんだけど……普通は着物からドレスじゃないのかな」

 希空は頭をひねる。

「ま、いっか」

 これからのスケジュールを頭の中で確認する。

「確か着替えたあとは、理人さんの締めの挨拶のあと、二人揃って会場から退室。出てきた参列客を見送る。それでこの『仕事』はおしまいっと……。あ、言ってしまった」
 
 慌てて口を塞ぐ。
 そしてキョロキョロと周りを見渡してから、つぶやく。

「誰かが結婚式のこと『披露して疲労する』って言ってたけど、本当だなぁ」

 理人と夫婦になったことを披露できるのが嬉しくないわけではない。
 しかし今回の催しはあまりにオフィシャルすぎた。

「次は理人さんの言う通り、断ろう。……っと」

 誰もいないと油断していた希空の前に、一人の女性がドアからするりと滑り込んできた。
 誰だろう? ぼんやりと女性をみる。すると相手は、はっきりと希空に敵意を示した。

「いい気にならないことね」

 ……もしかしたら、この女性が一連のクレームの黒幕だろうか。
 希空は警戒しながらも、その女性と対峙した。

 美人だ。
 派手やかなドレスが似合う、けれど上品さが漂うのは、ふだんからハイブランドを着こなしているのだろう。

 希空より年上のようだが、肌も髪もツヤツヤだ。
 しかし険のある表情が、台無しにしている。

「一柳君は体面を慮っただけなの」

 この人は誰? 希空は内心首を傾げる。
 着飾っている所をみると、おそらくは自分達の披露宴の参列者だ。

 ……『君』づけだから、少なくとも理人と同期、あるいは彼より年上。けれど、彼から女性の知り合いを紹介してもらったことはない。

 頭の中ではデータベースを高速で確認していたが、見た目には反応の薄い希空に、女性は苛立ったようだった。

「なによ、一柳君の前で倒れてみせたりして。わざとらしい!」

 希空の顔がこわばる。あの場所にこの女性がいた? 

「みんな、あんたが体を使って彼を落としたって、わかってるんだから!」

 憎々しげに言われて、希空は髪が壊れるのも気にせず、必死に首を横に振る。

「違います、私はそんな!」

「一柳君はね、今回の件で目をつけられた」 

 女性の言葉に、希空はぎくりとする。

「たかが機長の立場で上層部に意見したんだもの、当然よね」

 危惧していた通りになってしまった。
 どうしよう、理人に謝らなければ。自分になにかできることないだろうか。
 顔色をなくして立ち尽くす希空に、女性は追い討ちを重ねる。

「一連の出来事について、会社からの手打ちが披露宴なのよ」

 心臓が嫌な音を立てる。手足が冷たくなる。

「今はパワハラやセクハラに世間の目が厳しいから、一柳君は、『悲劇のヒロイン』を押しつけられたの」

 押しつけられたというのは、妥当ではない気がする。だって、自分達二人は愛し合っている。

「彼を取り合って、いじめがあったことは事実だしね。箝口令を敷いても、人の口に戸口は立てられないわ」

 希空は目を見開いた。
 ……自分が女性陣に囲まれて暴力や暴言を受けた場面、そして理人が助けてくれたところを、どれだけの人に目撃されていたのか。

 ネットで拡散されていたら、SWANの評判や巡り巡って理人に傷がつく……! 

「でもね。『いじめられた女を王子様が結婚してあげれば美談になる。会社の株価も下落しない』って上層部の判断よ。もちろん彼も承諾した。それで彼が会社に歯向かったことは帳消しってわけ」

「まさか、理人さんがそんな……」

 希空が喘ぐ。
 それでは理人がまるで自分を憐れんで結婚してくれたみたいではないか。

 女性が希空をせせら笑う。

「あなたは一柳君の将来を潰した代わりに、彼を手に入れたの。有能な人の足を引っ張った気持ちはどう?」

 自分が彼を欲したから、仕事を続けることを選んだから、彼の人生に汚点をつけてしまった。

 バタバタとスタッフの足音が近くなってくる。 女性にも聞こえたのだろう、身を翻して部屋から出ていこうとする。
 しかし振り向きざま、言い捨てた。

「セレブな相手から、一生愛してもらえない結婚をせいぜい堪能すれはいいわ」

 理人を信じたい希空の気持ちは、疑念怒り悲しみで出来た暗雲に取り込まれてしまった。
 もう希空の目は、夫の愛情に満ちた表情を見ない。
 彼女の耳も、夫の真摯な言葉を聞きいれない。

 
 その日以降、彼女は理人に抱かれるのを拒んだ。

「希空?」
「ごめんなさい、具合が悪いの」
「疲れたよな」

 自分を抱きしめてくれる夫の体温が嬉しくて苦しい。
 希空は必死に嗚咽を堪える。


 ◇■◇ ◇■◇

 以来。
『一柳理人とその夫人』として呼ばれるときは希空は理人と行動を共にする。
 けれど、二人の休日が重なってもデートも拒んだ。
 そして、誰かが休んだ時は進んでピンチヒッターに入るようになった。

「希空」
 求めてくれる夫に申し訳ないと思いながら仮病を使う。

「ごめんね、体調が悪いの」
「……俺達の子供がいるんじゃないのか」

 緊張で固くなった夫に、透き通るような笑みを見せて、希空はううんとはっきり否定した。

「安心して。子供は作らないから。……明日、早番だからこっちで眠るね」

 理人の目の前でサービスルームのドアを閉める。

「どういう意味だ、希空!」

 しばらく夫はドアの前にいたようだ。
 希空は彼が立ち去るまで、涙を流し続けていた。

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