プラトニックな事実婚から始めませんか?
 誘われたら乗ってしまう男もいるだろう。そう思うぐらいにはかわいいが、祥子とは比べものにならない。どうして、祥子を裏切れるだろう。逆に、別れた夫はよくも裏切れたものだ。バカなことをしたと、今は少しぐらい反省してるんだろうか。

「よく言われるんですよ。じゃあ」

 わざとらしく皮肉げに笑む。このぐらいがちょうどいい。甘い顔を見せるのは、祥子にだけでいい。

 まだ帰りそうにもない彼女に背を向けて、エレベーターに乗り込む。

 祥子が起きて待っていてくれたらいいのに。そう思うが、玄関に入ると、その期待はあっけなく裏切られる。

 真っ暗なリビングへ続く廊下を眺めたあと、バスルームへ入る。コーヒーのシミができたコートを洗濯機の上へ投げ出し、シャワーを浴びると、暗がりを歩きながら寝室へ向かう。

 そっと静かに扉を開く。手前のベッドに小さなふくらみがある。祥子は眠っているようだ。足音を立てないように奥のベッドに乗り、彼女の顔をのぞき込む。

 人形のように整った綺麗な顔をしている。化粧をしていない顔を見られるのは恥ずかしいと彼女は言ったが、高校時代のすっぴんを知っている俺からしたら、全然変わっていないし、むしろ、綺麗になった。何時間でも見つめていられるだろうその寝顔を見ながら横になる。

 変な気を起こさないようにと、いつもは壁に向かって眠るが、たまにはいいだろう。シングルベッドのつなぎ目は、まるで境界線のようだ。越えないように、理性を保ちながら、まぶたを落とす。

 静かな夜の中に聞こえる彼女の寝息が、ここちよいそよ風のように、俺をすぐさま眠りの世界へといざなっていった。
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