プラトニックな事実婚から始めませんか?
理由
***


「これから吉川綾に会ってこようと思うよ」

 朝食の片付けをする祥子に、なんでもないことのように、俺はさらりと言った。

 なるべく刺激を与えないように配慮したつもりだったが、驚いた彼女は持ち上げた皿をあやうく落としそうになる。横から腕を伸ばし、そっと手を支えると、彼女は「信じるだけだから」とまぶたを伏せた。

 俺が祥子を裏切るわけがない。だが、それを言葉にしたところで、息を吐くように嘘をつく男を夫に持っていた彼女が簡単に信用するはずはないのかもしれない。

「会う場所はモルドーにしたよ。誠也さんも来てくれるから、祥子が心配するようなことは何もないんだ」
「誠也さん、お仕事じゃないの?」
「休み取ってくれたよ。事情を全部話したら、協力してくれるってさ」
「それで最近、何度も会ってたんだね」

 納得したように、彼女はそう言う。

「それもあるよ」
「それもって、ほかにも理由があるみたい」
「誠也さんも悩みがあるんだよ」

 俺はくすりと笑うと、キッチンへ行こうとする彼女の腰にそっと腕を回して引きとめる。

「どうしたの?」

 ふしぎそうに俺を見上げる祥子と見つめ合う。

「今夜もいい?」

 ベッドで乱れる彼女を思い出すだけで身体が熱くなる。何度抱いても飽き足りなくて、自分でもこんなに貪欲だったのかと驚くほどだ。

「……はやく帰ってきてくれる?」

 上目遣いでそう言ってくる祥子が愛おしく、同時に安心感を覚える。

 もしかしたら、俺は綾に会うのを怖がっているのかもしれない。彼女には標的が落ちるまで諦めない粘り強さがある。そのしつこさに溺れる男はいるのかもしれないと、どこか納得してしまうような可愛らしさも。得体の知れない魅力を持つ綾とは関わりたくないし、一生つきまとわれるかもしれないという恐怖心もある。
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