破滅予定の悪役令嬢ですが、なぜか執事が溺愛してきます
 洞窟ツアーに申し込み、その時間を待つ間ビーチを散策した。
 
 アデルとリリカは波に素足をつけて、キャッキャとはしゃいでいる。
 
 カタリナは侍女に日傘をさしてもらいながら、その様子を眺めている。
 冷ややかに呆れたような顔で――そう思うのは、カタリナを表面しか知らない者の印象だ。
 よーく見れば、ほんの少し口角が上がっている。
 あれは密かに楽しんでいる時の顔だとわたしは知っている。

「ドリスお嬢様、暑くはないですか?」
 オスカーが後ろからスッと日傘をかざしてくれた。
「ありがとう。大丈夫よ」
 
 今日のわたしは青いサンドレス、オスカーは麻のズボンにコットンシャツという、互いにカジュアルな服装だ。

「それよりもオスカー、あなた泳げるわよね?」
「……はい」
 突然なにを言い出すんだとでも言いたげに、オスカーが眉根を寄せている。

 ルーン岬のイベントは、溺死するようなことにはならない。
 なぜなら満潮になっても洞窟が海水で埋め尽くされるわけではないのだ。
 
 しかし肩ぐらいまで浸かってしまうし、そのまま何時間も海にいれば体が冷えてしまう。
 そこで潮の流れが変わったと判断したところで、オスカーがヒロインを優しく励ましながら泳いで洞窟から脱出する。

 つまり、オスカーが泳げないことには困る!

「お嬢様と一緒に、さんざん湖で泳ぎましたよね?」
 オスカーの声がどことなく呆れている。

 そう。実はあらゆることを――その中にはもちろん今回のイベントも含まれている――想定して学校に入学するまでの2年間、わたしはオスカーとともに水泳の練習もしていた。
 孤児院の子供たちと水遊びをするという名目で。

 エーレンベルク伯爵家から孤児院へ行く道中に大きな湖がある。
 馬車を使うと湖畔沿いの道を進むわけだが、湖を横切ればはるかに早く孤児院に到着することが可能だ。
 そうならないことを祈っているけれど、もしも破滅フラグ回避に失敗して極寒の屋外に放り出された場合、一刻も早く建物内に入りたい。
 修道院よりも近い孤児院へ。しかも最短で。

 そこでわたしは、凍った湖をスケート靴で滑っていくことを思いついた。
 これも孤児院の子供たちと遊ぶ名目で、冬にはスケートの練習も欠かさない。
 この世界にはまだ金属のエッジは存在していなくて、スケート靴は動物の骨だ。

 孤児院にスケート靴を寄贈して善人ぶってみたけれど、本当の目的はわたし自身のスケートスキル向上だった。
 
 スケートもバッチリ! そして万が一氷が割れても、泳ぎもバッチリよっ!

 それに付き合わせることになったオスカーもまた、泳ぎもスケートもそつなくこなせるようになった。

「ちょっと確認しておきたかっただけよ。頑張ってちょうだい!」
 
 だからいったいなんの話だ、という顔でオスカーが苦笑した。
「楽しそうですね」
「ええ、とっても!」
 
 だって、今日これからオスカーの恋の相手が決まるんだもの!
 わたしたちは、洞窟ツアーのボートに乗り込んだ。
 
 ツアーはボート漕ぎ体験も含まれている。
 ふたりのツアーガイドと一緒にオールを持ってみんなでボートを漕いでいく。
 残念なことにカタリナとリリカはまったくの戦力外だ。
 将来の逃亡を視野に普段から体をよく動かしているわたしはまずまず。
 アデルとオスカーは、ツアーガイドがいつもより速く進むと目を見張るほどの大活躍をみせた。
 
 こうしてスムーズに洞窟に到着した。
 先にボートから降りたオスカーがわたしたちが降りるのを手を引いてエスコートしてくれる。
 オスカー、ナイスな気遣いよ。紳士的ないい男になったわね!
 
 奥のほうへ進んでいくと、水面も壁面もすべてエメラルドに光る空間に目を奪われる。
 ぐるっと見回して、思わず「わぁっ」と感嘆の声がもれた。
 ゲームよりも実物のほうが遥かに神秘的だ。

「素敵ね」
「そうですね」
 ひとりごとのつもりで呟いたのに、なぜかオスカーがぴったり寄り添ってくる。

 ススッと横に移動すると、オスカーもまた寄り添うようにススッと移動する。
 どうも最近距離感が近いように思うのは気のせいだろうか。
 
 こんなにぴったり監視しないといけないぐらい、わたしは悪さをしそうなオーラでも放っているのかしら……?
 
 でも、これでいい。
 オスカーの女性への距離感が近くなっていることこそが、今回のイベントへの布石なのかもしれない。

「潮の流れが変わってきたので、そろそろ帰りまーす!」
 しばらく洞窟の景色を堪能したところで、ツアーガイドが声をあげる。
「先にボートに戻っているわね」
 わたしはわくわくしながら一番にボートに乗り込んだ。
 
 さあ、いよいよだ。
 ただし3人のうち誰かひとりが取り残されて、あまり怖い思いをしなければいいんだけど……と思う。
 わたしはシナリオを知っているから、溺れもしないしオスカーがカッコよく助けてくれるってわかっているけど、ヒロインはそうではない。
 溺れて死ぬかもしれない! なんてどれほどの恐怖だろうか。
 
 そんなことを考えた後ふと我にかえって、おやと思う。
 どうして誰もボートに乗ってこないんだろう……?

 振り返ると、洞窟内にはもう誰もいない。

 ……え?

 前方を見てギョッとした。
 ほかの人たちを乗せたツアーボートが水路を出ていくところだったのだ。

「待って! 置いてかないでー!」
 慌てて大声で叫ぶ。でも誰にも聞こえていないようだ。
 そしてみんなを乗せたボートはゆっくり曲がり見えなくなった。

 なんでわたしが置いていかれるわけ!?

 これは予備のボートってこと?
 なんでそんな紛らわしいものがあるのよ!
 
 ヒロインの誰かが取り残されるだろうと知りながら、それを楽しむかのように妄想していた罰が当たったのかもしれない。
 たしかに悪趣味だった。

 わたしが載っていないことに誰も気付かなかった。さらには大声で呼んでも誰にも聞こえなかった――これはまさに、イベント強制力が働いている証拠だ。
 
 こうなったら、このボートを漕いで脱出……と思ったが、オールがない。
 いま潮の流れはこちらへ向かってくる方向だから、手でパシャパシャ水をかいて進むのは大変だろう。
 それだったらむしろ、泳いだほうがいいかもしれない。
 いや、泳ぐのも大変そうだ。

 どうしようかと迷ううちに水位が上がってきた。
 
「大丈夫。溺れはしないから」
 自分に言い聞かせるように呟く。
 それでも恐怖と焦りで体が震える。

 ああ! やっぱり誰が取り残されるかって楽しんでいた罰なんだわ!
 正真正銘、悪役令嬢じゃないの!
 
 その時、誰かがこちらへバシャバシャ水しぶきをあげながら泳いでくるのが見えた。

 
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