憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

19、違う景色を見て

 翌日の晩餐に現れたのは、ウェリントン領地の三人だった。

 小さな会で目新しい話題もないが、和やかに進んだ。魚の料理がお客に好評で、母も喜んだ。

「海軍の方は海の魚はもう飽きていらっしゃるでしょうから、マスを用意させました」

「いや、艦では魚はほぼ食しませんよ」

 バート氏の言葉に、母も姉妹も驚いた。

「食材は予め積み込んだ物です。余暇に釣った魚を食べないこともないが、それもごく稀です。ですので、お気遣いはありがたいですよ。非常に旨い」

 食事の後で居間に移り、お茶を飲んだ。母はバート氏と話し、ダイアナがアシェルとエヴィの相手になった。

 エマはリュークが話しかけるので応じるが、不思議だった。数日前までは彼の関心はダイアナだけだった。それが、姉を忘れたように自分がその代わりになった。

(何かあったのかしら?)

 妙に思い、のちダイアナと二人になった時に尋ねてみた。

「さあ。リュークさんにはわたしが退屈だったのではない? お話に頷いていただけだから」

「そんなこと」

 ダイアナは聡明な女性で、相手に合わせた会話が出来る。ただ控えめな点では、エマより勝った。

 その夜も、エマはリュークから明日の散策につき合ってほしいと誘われていた。

「あなたも来るでしょう?」

 当たり前にダイアナにも声をかけた。

「いいえ。わたしは行かない方がいいと思うわ。リュークさんはあなたを誘ったのだから」

「え」

「大丈夫よ。きっとエヴィも連れていらっしゃるのではない?」

 果たして、姉の言う通り、リュークはエヴィを伴ってやって来た。エマはアシェルも連れ、外に出た。母とダイアナは館に残り、見送った。

 そんなことが数度重なった。

 村に手紙を取りに行くエマにリュークがつき合った。そろそろ彼が訪れる頃だと、ダイアナが気を利かせ、先に子供たちを牧場に連れて出かけていた。

 母も、信頼するバート氏の弟が、エマと親しくするのは歓迎なようだ。毎度微笑んで見送る。二人に仕組まれた感覚がして、妙にこそばゆい。

(何もないのに)

 田舎での余暇を持て余した退屈しのぎの相手に過ぎない。彼の自分への興味を、エマはそう割り切っていた。

 村の配達局でスタイルズ家宛の手紙を受け取った。リュークもウェリントン領地のものを受け取っていた。自身のものもあるようだった。

「少し座りませんか?」

 誘われて、木陰に腰を下ろした。リュークは足を伸ばし、寝転んだ。

「そういえば、こんな風にしていたら、あなたが転げ込んで来たのだったっけ」

 初めてこの地を訪れた彼が、木陰で仰向けになっていた。そこを通りかかったエマがその脚につまづいて転んだことがあった。それがリュークとの出会いだ。

「嫌だ。覚えていらっしゃるの?」

「あれを忘れろと言う方が酷でしょう」

 彼は彼女を見上げて言う。端正で精悍な顔に、笑い皺が出来た。寛いだ様子で小さくあくびをもらす。

 しばらくののち起き上がり、尋ねた。

「エヴィに買った土産が高価だと、家庭教師が取り上げてしまった。何かの褒美とするまで渡さないでおくそうだ。可哀想に思うが、どう思いますか?」

「姉にお尋ねになったら? その方が有益ですわ」

「どうして? あなたに聞いているのに」

 こちらをうかがう彼の目が案外鋭い。エマはちょっとたじろいだ。

「姉は実際エヴィと似た年頃の少女を教えています。答えもわたしとは違ってくるわ」

「お姉さんは関係なく、あなた個人ではどう考えるのですか?」

「わたしは…」

 側で見つめられているのがわかる。彼女の意見を求める訳も見えない。頰が熱くなる感覚がした。

「ご褒美にするのは違うと思います。それをエヴィに贈る、あなたの気持ちが伝わらないように思うから」

「あなたはわたしの側に立ってくれる訳ですね」

「ミス・ハンナのお考えを否定したのではないわ。ただ、久しぶりにお嬢さんに会うあなたのお気持ちは、きっと特別だろうと思ったまでです」

「外見はよく似ているが、性質はお姉さんとは違うようですね」

その言葉に、エマは彼を見た。濃い茶の瞳が彼女を見ていた。

 二歳上のダイアナとは似た者姉妹だと、周囲からよく言われて育った。けれど、側で見て、自分より姉が何もかも優れていると、彼女は信じている。能力の面だけでなく、心の持ちようや強さも。

「ダイアナさんと何度か話したが、何も返してくれない。悪い意味ではないのですよ。余計な男には、決して心を見せない用心深い性質なのでしょう」

 彼女は姉の慎重さを知っているため、彼の言葉を悪くは取らなかった。

 ただ、ちょっとおかしく感じた。リュークが姉から彼女へ相手を変えたのは、簡単に言ってダイアナが素っ気なかったからだ。その態度が彼をエマに向けさせた。

「どの寄港地でも、海軍の方は女性に歓迎されるはず。リュークさんはそれに慣れていらっしゃるから、田舎娘の臆病さが珍しいのだわ」

「誤解しないで下さい。女性に慣れているなんて、断じてないですよ。海軍全体にそんな印象を持たれているのかな」
「こちらでも、あなたを他の女性たちがよく見ているもの」

「軍服が目立つのでしょう」

 彼はそこで手紙の中から一つの封を切った。ざっと目を通し、ポケットにしまった。一瞬、不快げに口元が歪んだ。

「急ぎのご用ですか?」

「部下の揉め事です。懲罰審議にかけられることになったようだ」

「まあ」

「大所帯では必ず何か起こるが、いやはや…」

 軽く首を振った。

 問うのも憚られて、エマはボンネットから落ちた髪を指ですくった。

「軍人を志されたのは、お兄様の影響ですか?」

「そうですね。兄の出世していくのを見ていたので、当たり前に後を追いました。周囲はそういう者が多いです。そう、あなたは家族に軍人がいるのをどう思いますか?」

「どうかしら、考えたことがないから……」

 父も兄もなく、弟のアシェルは幼な過ぎた。彼女には家族に軍人がいることが想像しにくい。

 微かに首を振る彼女へ、リュークが付け足すように問う。

「考えてみて下さい。そう遠くなく、あなたも誰かへ嫁ぐでしょう。夫が軍人であればどうです?」

「え」

「留守にしがちだが、その分世話が要らない。忘れた頃に褒賞を持って帰ってくる。楽でいいと同僚の奥方は口々にそう言いますよ」

「まあ」

「我々が寄港先で歓待を受けるのは確かですが、海軍は規律が厳しい。女性に浮ついた輩は稀です。艦の恥になるため、実際は堅物が多い」

「立派な任務を担われている方に対して、わたしが何か言うなどおこがましいわ」

 エマは首を振り、答えを避けた。結婚の目処もない身で、軍人の妻など想像もつかない。

「それは、婉曲に嫌だという意味ですか?」

「え」

「女性はよく遠回しな言葉を使うでしょう。あれがよくわからない。「よろしいわ」とか「相応しいわ」とか。その通りに受け取ると正反対だったりする。さっきの「おこがましい」も文字通りではなく、答えたくないという意味ですか?」

「まさか、違います。わたしは軍人の方を知らないから、意見を言うのは僭越です。なので答えようがないという意味です。それ以外はありません」

 少しの間の後だ。

「行きましょう」

 彼が先に立ち上がる。彼女へ手を差し伸べた。その手を取り、彼女も立ち上がった。

 並んで歩く。

「わたしも軍人です」

 エマはやや追い詰められるような気分になる。

「……はい」

 答えが遅れた。

「わからない、ではいけませんか?」

「そのままの意味で?」

「ええ。わからないのです」

「拒絶でなければ、十分です」

 彼はちょっと笑った。

「困らせるようなことを言い、申し訳ない。面食らったのではないですか?」

「いえ……」

 言いながら、エマはこれは嘘になると気づいた。苦笑する。

(リュークさんの言うように、女は言葉で事実を誤魔化すわ)

「あなたのことを知りたいと感じていました」

「知って、どうなさるのですか?」

「ただ単に、側で微笑んでほしいだけなのかもしれない」

 好意とも取れる言葉に、彼女は何も返せなかった。戸惑ったのと恥ずかしさと、嬉しさと。それらが混じり合い、視線を下げて黙って歩いた。
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