憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

39、告白 後

「君は、ある王族の方の件を耳にしたことがある? ほんの二年ほど前のことだよ」

 身内の件から話が飛び、エマはレオを見上げた。

「さあ、王家の方々のことはよく存じ上げないわ。王都に縁もないもの」

「王子で公爵に降られた方だ。この方のことが噂になり、市井でも囁かれた」

 話の意図が読めない。瞬きをして続きを待った。

「男の伴侶を持たれた。公爵に降られた理由はそれだとされるよ」

「え」

「ジェラルドもそうなんだ。君の会ったマシュー、コックス君は叔父の恋人なんだ」

 彼女はすぐに話が飲み込めなかった。ぽかんと彼を見つめてしばし過ぎた。

「男が男を愛する者もあるんだ。異性に対するのと同じように」

 静かな声だった。

「ジェラルドと僕は八つ違いだ。真実、兄弟のように育った。君がお姉さんをそう言うように、僕も彼を僕より上等な人間だと思う。当主は僕が継いだが、伯爵位は彼が持つ。領地も一緒に治めてきた」

 そんな叔父に違和感を持ったのは、レオがミドルスクール後半頃だという。盛んに祖母が結婚を勧めていた。時には候補の女性を邸に連れて来て、強引に引き合わせたりしていた。

「放っておけばいいのに、と祖母に言ったことがある。ジェラルドは謹厳な人で責任感が強い。僕が大人になるのを待って、自分の結婚を考えているのじゃないかと思っていた。しかし、祖母が妙なことを言う。妻を持てば直るかもしれない、と」

 当時のレオはその言葉の意味がわからなかった。祖母も説明しない。時間が過ぎる中で、のち同性愛者という意味を知る。

「ワーグスビューで初めてそのことで話した。勘づいてはいたが、話すきっかけもない。僕の理解も足りなかったし…」

 レオは言葉を切った。

 そこで彼が口にした「卑怯」という言葉につながる。王族でありながら、同性愛者だという醜聞で公爵に降る処分を受ける。憚るべき事柄で、現に彼の祖母は息子の個性を妻をあてがい直そうとしていた。

 彼自身、祖母を「ひどく噂を恐れた」と言った。保守的な人であると想像はつく。名門の夫人が家名を守るための当然な心理でもある。また、若いレオですら理解し難い問題を、女性で高齢の祖母にはより手に余るはずだ。

 この事実を知らせないままエマに求婚し、応諾を取った。そのことを彼は「卑怯」としたのだろう。

「長く、誰もいない大海原を泳いでいるような気持ちだったと聞いた。どこまで行ってもどこにも辿り着けない。奇跡的に同じ個性を持つ彼と出会え、お互いを求め合っている。こんな至上の喜びはないと。それをもって終わりにしようとしたのだと」

「そんな…」

「離れることは出来ない。けれど、一緒にいれば必ず噂になる。邸にかける迷惑を考えて、死を考えたとね。ジェラルドらしいよ。実際、ワーグスビューを終の場にしようとしていたらしい。コックス君が好きなんだそうだ」

「…おっしゃっていたわ。気に入っているって」

 マシューと一緒に過ごした時間は少なく、穏やかな人物だという印象以外を辿れない。しかし、あんな寂れた観光地を心地よく思う心理は、今であれば少しだけ想像がつく。

「僕たちはそのことについて、話し合ったことがない。知っていながら、互いに結論を先延ばしにして来た。それがジェラルドを追い詰めたんだ」

 レオは捜し当てた叔父へ話し合うことを強く求めた。祖母は病気の一種のように考え、彼は噂に聞く程度の理解でしかない。叔父はそんな二人にわかるはずがないと頑なだった。

「とにかく、勝手に心中するのは親不孝だと責めた。散々言葉を尽くして、ようやく頷いてくれた」

「良かったわ」

「ジェラルドに効いたのは、僕の台詞じゃなくて、結局コックス君の涙だったと思う。……僕も彼も恋人の涙にはからきし弱い」

 レオは彼女を見てちょっと笑った。

 その後、三人でウォルシャーの邸に帰り、祖母も含め長く話し合った。 

「噂を憚る人だけれど、祖母も観念している。最後の息子を失うことに比べれば、醜聞くらいのむと折れた。王族の方にもあることだという説得も効いた」

「お二人はどうなさるの?」

「コックス君は祖母が猶子に迎えたよ。ジェラルドとは兄弟という体だ。ウォルシャーの一員になった。仕事が欲しいと言うから、村の教師をすることになった。静かで良い人物だよ。君はもう知っているね」

「アシェルのミドルスクールの件で丁寧に教えていただいたわ。優しそうな方ね」

「そうか、アシェルはもうそんな年か」

「二年後なのだけど、入学の学費を援助をして下さる方がいて…。ダイアナの家庭教師先のハミルトン氏がそうなの。…姉と婚約が決まったわ」

 レオは驚いた目を彼女へ向けた。

 言葉は少し遅れた。

「それはキースが残念がるな」

 キースのダイアナへの思いは周知でもあった。しかし、姉は何ら思わせぶりな行為はしていない。きっかりと線を引いていたことを知るから、エマは軽く首を振るに留めた。

「エマ」

 不意に名を呼ばれ、彼女は彼を見る。彼は少し凝らした目で彼女を見つめた。

「僕との結婚は、お姉さんに迷惑がかかるかもしれない…」

「どうして?」

「こんなことを聞いて、狡いと思う。僕を好き?」

「ええ、好きよ。…どうしたの?」

「我が家のこと…、ジェラルドとコックス君のことは地域できっと噂になるよ。州を跨いで知る人は知る風評になる。それは避けられない。僕も祖母も覚悟はしている。家族だから、全部引き受けるつもりだ。君はその心づもりは出来る?」

「ええ。お二人にいけないことなんてないもの。…好き同士なだけではない?」

 彼は小さく笑った。彼女の手に口づける。

 それを受けながら、エマはきゅんと胸が心地よく痛む。その仕草が彼女は嬉しい。

「ただ、嫌な声を聞くこともあるだろう。保守的な人も多い。変わった人物を出した家だと、絶対に口さがないことを言う人はいる。君を必ず守るけれど、そんな噂は空気みたいに飛んで来るから…」

「嫌な声も噂も慣れているわ。わたしは構わない」

 心の底から感情を伝えたくて、少しだけ身体を彼へ傾かせた。寄り添うようになる。

 彼が自分の肩に触れた彼女の髪に指を這わせた。

「君だけじゃないかもしれない」

 そこで、「お姉さんに迷惑がかかる」につながる。

 ウォルシャーの家と縁がつながるということは、不名誉な噂も共有することを意味する。エマは静かに悟りながら、目を閉じた。

 幸せな結婚を手にする姉にもその夫になったハミルトン氏にも、醜聞の影響は埃のように舞い寄るかもしれない。

 レオの叔父は、思い合った恋人のマシューと今の彼女と同じようにただ寄り添い、共にありたいだけだ。

(誰も悪くなんてないのに)

 しかし、世評を制御出来ないことも彼女にはわかる。身に覚えのない誰かの悪意をつぶてのように受けることだってあるのを知っていた。

「手紙を書くわ。…たくさん書くから、ダイアナに会えなくても、それで我慢出来るわ」

「それは…」

「あなたといられないのなら、その方がいいもの。それでいいから。フィッツだって、事情をわかって下さるわ。とても寛容な方だもの」

「僕は狡い。君が犠牲を払ってもいいと言ってくれるのを待っていた。ありがとう」

「狡いのではなくて、自惚れ屋さんなだけよ」

「そうかな」

 返事の代わりに、彼女は彼の手を握った。

 最初からそうだと思う。いきなり彼女の世界に飛び込んで来たレオは、あっさり彼女の心を射止めて離さなかった。そして、そんな彼女の心のうちを余さず読んでしまっている。

(知らん顔をしてくれるのだけは、紳士だわ)

「僕が君を離せないように、ジェラルドだって誰かを思っていい。それが許されないのは、家族のエゴだ。この期に及ばなければ、そこまで思い至れなかった。散々彼には助けられてきたのに、思いやりも出来ず、僕は随分身勝手だった。自分がみっともないよ」

 聞きながら彼女は思う。レオだって目一杯だった。心配し不安にかられ、同じ心境の祖母を労りつつ捜索に駆けずり回った。面やつれしたように、心も疲弊する。

「叔父様は落ち着かれて?」

「ああ。変わったのは、祖母が心配してよく付きまとっているくらいかな。…そう、うちの事情は僕から母上に申し上げるよ」

「……どうかしら? 母は面食らうだけで、理解出来ないかも」

「隠し立ては出来ないよ。ねえ、母上がそれで結婚を反対されたら、君はどうする?」

 余裕のある眼差しが、彼女に注ぐ。問いながら、彼は彼女の答えをもう得ている。そう彼女は知っていた。

 強気な目論見に逆らってみたい気もちょっぴり起きる。けれど、その碧の目に見つめられると、抗えない。

「攫ってくれる?」

「馬車じゃない。馬でよければ」

 笑みの混じる声が返る。
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