泣き虫の凛ちゃんがヤクザになっていた

1話 後編

「何で名刺渡しちまったかなぁ……」
 俺は弁当屋を出た直後、襟足を掻きながらそんなことをボヤいた。
 
 俺はため息を吐きながら、少し離れたところの路肩に止めた黒のセダンに向かって歩いた。
 運転席側のドアを開けて車に乗り込むと、助手席のシートを倒して寝ていた宮永(みやなが)さんがアイマスクを取って「ご苦労さん」と気の抜けた声で言ってきた。

「すみません、俺のワガママを聞いてもらっちゃって」
「いやいや、凛からの頼み事なんて珍しいからな。むしろ、もっと言ってほしいもんだね」
 宮永さんはアハハッと笑いながらシートを起こす。

「ワガママ」というのは、先ほどの取り立てのことだ。
 闇金は本来宮永さんのシノギであり、俺はそれを手伝う立場だ。取り立てに関しても、いつもなら宮永さんが主導で行う。
 しかし、今回は俺一人でやらせてほしいと頼んだのだ。それに対して、宮永さんは二つ返事で了承してくれた。

「で、どうするって?」
「……一週間考えるそうです。多分、あの弁当屋売ると思いますよ」
「あらぁ?ヘルスに誘わなかったの?」
「……あんなの商品にならないですよ」
 俺は無理やり苦笑する。
「えー、そう?昨日の昼間、あそこで生姜焼き弁当買った時、結構可愛い子だと思ったんだけどねぇ。ああいう童顔でちょっと芋臭い子が意外に一番勃つんだよ」
 宮永さんの白々しい物言いを聞いて、俺はギョッとして反射的に彼のほうに顔を向けた。
 宮永さんはニッと不敵な笑みを浮かべている。
 どうやらこの人は、俺の()()に気づいていたようだ。気づいていた上で、俺を泳がせたのだ。
 
 本当に悪趣味で性悪な男だ。
 しかし、そんなことを()()であるこの人には、口が裂けても言えない。

「何?知り合い?」
 宮永さんは茶化すように訊いてくる。
「ええ、まあ、昔の……」
「元カノ?」
「そんなんじゃないですよ……」

 ――凛ちゃんのことは、私が守ってあげるからね。

 遠い昔の、情けない記憶が蘇る。
 驚くほど何も変わっていなかった――。

 俺は記憶をかき消すように、エンジンを掛けた。
「そういや、浅田(あさだ)がまたきな臭い動きをしてるらしいぞ」
 宮永さんは先ほどと打って変わって、神妙な口調で話し始める。
 
 浅田というのは、俺たちの中では有名な汚職刑事だ。
 マル暴のくせに見た目は優男なのだが、内面は真っ黒な野郎だ。ヤクザや半グレから賄賂を受け取って、犯罪を見逃したり、押収した薬物や捜査情報を横流ししている。
 しかし、警察の上層部は組織内にそんなヤバい奴がいるなど公表できないため、見て見ぬふりをしているそうだ。
 その上、浅田は他の警察の人間を買収したり弱みを握って脅したりして汚職に加担させているらしく、そのせいで浅田の首を切れば芋づる式で大勢の警察官の首が飛ぶらしい。
 警察組織の癌と言っても過言ではないだろう。
 
「お前も気を付けろよぉ。あいつはヤクザなんかより数倍おっかないからな」
「もちろん、分かってますよ」
 俺はそう言って車を走らせた。
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