ハイスペミュージシャンは女神(ミューズ)を手放さない!

しあわせのかたち

 当然ながら、日常に戻ると意識も戻る。

 あの幸せな時間が夢だったのではと思うこともあった。けれど、その度に隆介はすぐに電話をくれたり、一瞬でもメッセージをくれたり……本当に手放す気は更々ないというアピールをし続けてくれた。

 そんな優しい時間を過ごしながら雫が長崎へ帰って1週間ほど経った日、大きな知らせが突然舞い込んできた。

「雫ちゃん! 雫ちゃん! はよ、ちょっときて!」

 夕食は鍋にしようと野菜を切っていたところで、こたつに入ってテレビを見ていた祖父が大騒ぎして、雫を呼び出した。なんねもう〜と祖母とふたりで笑いながらテレビのある部屋へ移動すると、祖父は大ごとだという顔で雫とテレビを何度も往復して見る。

「これこれ、これよ! これ雫ん彼氏やなかとか!」

 演歌歌手勢揃いの番組の上に、小さな白文字で速報テロップが出ている。
 
 【速報】Essentialsが第XX回 ラミー賞にノミネート!Vo.Ryusuke名義では3年連続、今年は2部門に。

 雫は祖母とふたりで、顔を見合わせた。

 互いの瞳に映る自分の姿はあまりに呆然とした驚きの顔をしていて、現実味のない話に大笑いが止まらない。あははまさか!などと笑っていると、机に置きっぱなしにしていた雫の携帯に電話が入った。

 一瞬、リビングがシーンとしてから、早よはよ!と祖母に急かされるように電話をとった。

「お、取ったね」
「あっもしもし! 隆介さん、おめでとうございます!」
「あれ、もう見ちゃった?」
「……見ちゃいました、テレビで」
「残念。一番に伝えたかったんだけどな」
「隆介さんからの一番、嬉しいです」

 電話越しの声の向こう側はザワザワとしていて、彼らも喜びを隠せない様子だった。

「今は、収録……とかですか?」
「ううん、今からアメリカ。新しいアルバムは向こうで撮ろうと思ってて」
「アメリカ?! ……じゃあまたしばらく、お預けですね」

 少し驚かせてみたくなって、大胆なことを言ってみる。隆介にこんな態度を取るのは初めてだけれど、会える予定がお預けで寂しいのは本心だ。
 
「帰ってきたら、嫌ってほどかまってやるって」
「……なんか最近の隆介さん、オラオラしてます」
「雫が俺のものだと思ったら嬉しくて、つい素が出ちゃうんだよなぁ。……こういう俺は嫌い?」

 想定よりもさらに上をいく返答をされて、こちらが言動不審になってしまいそう。なんとか笑って切り返すと、同じようにあちらもジャブを打つような質問を返してきた。

「もうっ! 嫌いって言えるはずないことくらい、知ってますよね」
「ん、知ってて聞いた。じゃあ……飛行機乗るからまた」
「お気をつけて、いってらっしゃい」

 見送ることはできないから、代わりに言葉を送る。ほとんど事故のない交通機関でも、彼が長距離移動するのは不安だし心配になる。飛行機なんて、雫は乗り慣れていないから尚更不安だ。
 
「あ、そうだ。雫……愛してるよ」

 口角を上げながら揶揄うように話す、明るい声がする。顔を見なくてもわかる彼のイタズラ気味な声。これは絶対、雫が祖父母と一緒にいることに気付いて、言ってきている。
 
「……わ、私も」
「私も?」
「愛、して……ます」
「ん。元気出た。行ってくる」

 ツーツーと切れた通信音を確認してから、電話を切る。急に羞恥心を煽るようなことを言わされて、雫は耳まで真っ赤に染まった。

「なんやかんやあってん、雫は幸せ者やなぁ」
「愛しとーだって! 最近言われとらんねぇ」
「そんなゆわんでも伝わるものがあるじゃろう」

 祖母はごちそうさまと言わんばかりに茶化したかと思えば、その言葉の矛先を祖父に変えてあれやこれやと話し続けていた。

 以前の雫なら、こんな隆介の活躍をみては自分の成長スピードの低さに落ち込み、自分でいいのかと悩んでいただろう。もちろんその気持ちが全くない状態になったわけではないけれど、今の雫はもう違う。

 自分のペースで歩くことを隆介と約束したことも大きい要因のひとつではあるけれど、それよりも純粋に隆介の活躍が嬉しくてたまらない。

 もっと多くの人に彼の音楽を届けたいし、彼のセンスで世界が変わっていくをの一緒に見届けたい。だから、嫉妬よりも熱中に近い気持ちで見ていられる。

「……早く帰ってきてくださいね」

 あの日から一度も外していない指輪に祈るように手をギュッと握って、渡米の無事を願った。

 ***

 ――6年後

『And the Rammy prize to ……Essentials!』

 画面上に、金色の花吹雪が飛ぶ。生放送に合わせて起きるのは難しくて録画した総集編を、リビングの大きなテレビで見ている。数日前に放送されてから、もう何回見ただろう。

 何度もノミネートされたことはあったけれど、受賞したのは今年が初めてだ。ノミネートだってもちろんすごいことだけど、この初めての瞬間は特別だった。スマホにも保存したのに、やっぱり大画面で見たくて、何度もリピートしては同じ場面ばかり見てしまっている。

 司会者がら呼び出された4人は、生バンドの音に合わせて舞台上へゆっくり歩く。3人は驚きを隠せない様子で、中央の隆介だけはそうだろうと自慢げな顔をしている。客席で、4人の後ろに一瞬映った多田は……ひとり大泣きしていた。

「あ!見てママ! またただないてる!」
「わー本当だ〜! 多田さん大泣きだね」
「あっパパ! いまパパ映ったよ、ママ!」

 隆介との結婚は想像通り、一筋縄ではいかず、紆余曲折だらけの日々だった。婚姻届は提出までに時間がかかってしまった上に、いつでもマスコミに付け回されている隆介は自由に動けない。結局ふたりで書いた婚姻届を、雫ひとりで届けに行った。
 
 2月の東京はまだ冷えている。床暖房をオンにしてふわふわのカーペットを敷いていることもあり、一人娘の雪花はカーペット上でゴロゴロしながら、隆介の登場を待っていた。
 
 登場前にまた寝ちゃうかな?と思っていたけれど、5歳児の体力は凄まじい。ソファで跳ねていたかと思えば、牛乳を飲む。落ち着いたかと思えば、ピアノを弾く。暇つぶしの天才だなぁ、と驚かされることばかり。

「ゆか、パパさ、かっこいいね」
「うん! ゆかね、おっきくなったらパパと結婚するんだよ」
「えっそうなの?パパが結婚しようって?」
「んーん、パパに内緒で結婚するの」
「えー! でもパパはママのだからなぁ」
「違うよ! パパはゆかの!」

 隣ではしゃぐ小さなお姫様を抱きしめて、早く帰ってきて欲しいねと話していると、画面の中の彼も同じように話し始めた。隆介の取り合いをしていたはずなのに、画面へ彼が登場したのがわかると、何を言っているか分からなくとも座り込んで、真剣に見ている姿がたまらなく愛おしい。

「このような光栄な賞をいただくことができ、とても嬉しく思います。僕は全ての経験を音楽にしています。それはその方法しか知らないから。一度は音を作り出すことができず、悩んだこともありました。全てのファンや仲間にも感謝していますが、今日は何よりもまず、そんな僕を救い出し、世界に再び彩りをくれたメンバーと家族に感謝を贈ります。ありがとう」

 マイクを外した隆介は、いつも雫に向かって愛していると笑う時と同じあの顔で、カメラに向かって"I love you"と呟いた。

「あ! ほらママ見て! パパ今、I love youって言った!」
「ほんとだ〜! 電波に乗せてあんなことする人だったっけね〜?」

 冗談混じりで夫をいじると、雪花は「ゆかにはいつもああやってlove you babeって言ってくれるもん」と自慢された。口を尖らせて不満げな表情をした雪花の顔は、隆介によく似ている。少しクセのあるウェービーな髪も愛おしい。

 家を不在にしている時間も多いけれど、帰ってきたらずっと側にいてくれる人。彼が居なくても良いわけではないけれど、雪花と一緒にいて毎日が忙しい分、彼のいない時間も不安や寂しさを抱えることなく過ごせている。

 パパだ!と画面に触れた雪花の指紋で、液晶はベタベタに汚れていた。斜めから見ると白い模様が中央にたくさん咲いている。隆介を恋しく愛おしく思う娘は可愛いけれど、叱ることもしなくちゃいけないのがママの仕事。

「雪花、もう直ぐお姉ちゃんになるんだから、テレビ触って汚したらちゃんと拭いてね」
「はぁーい。ママ、弟か、妹か、もうわかった?」
「まーだ。昨日はわかんなかったから、次の検診かな?」
「ケンシンしたらわかるの? じゃあ明日行く?」
「明日じゃわかんないかもね〜」
「じゃあ明日の明日は?」

 可愛い想像に笑いながら、ゆっくりと立ち上がってキッチンへ向かう。時計を見ながら、そろそろ食べ始める準備をしようかとパンを焼き始めた。

「ママ、牛乳飲む?」
「んー、ママはいいかな! ありがとう」

 姉になる自覚が多少は出てきたのか、雫に色々と質問をすることが増えてきた我が子。小さな手でできることをあれもこれもと手伝ってくれる姿はたまらなく愛おしい。

 机に食器を三枚並べてパンが焼けるのを待っていると、玄関ドアの開く音がした。
 大きなキャリーとギターもあるから、手伝ってあげてと声をかけると、雫が向かうより先に雪花が駆けていった。

「おぉ〜っ! ただいま、雪花! また大きくなった?」

 隆介は肩にかけていたギターバッグを足元へ置いて雪花を抱き上げると、伸びたひげのまま顔を擦り寄せた。

 「あっやだ! ママ! パパのおひげ痛い!」

 嫌がって雫へ助けを求める雪花の顔も可愛いらしく、隆介はいたずらっ子の顔ですりすりするのを辞めない。雪花が隆介のお腹を蹴って離れようとしたことで、仕方なく雪花は解放された。

「……隆介さん、おかえりなさい」

 相変わらず全身黒い服で身を包んだ隆介は、あれからも全く変わらない格好良さを維持している。今回は授賞式だけの渡米だったから1週間ほどだったけれど、それでも寂しかった気持ちは変わらない。

「ただいま、雫。……もしかして、授賞式見てた?」
「ふふっもう20回は見ましたよ。多田さんの大泣きから、隆介さんのI love youまで」

 敵将討ち取ったりとばかりに得意げに話すと、隆介は首まで真っ赤にして頭を掻いた。見られる可能性ほぼ100%なんだから、弄られることなんてわかっていたはずなのに、そういうことしちゃう人だったのねと笑うと、さらに顔を赤くした。
 
「うわ、はっず。……あとで消そう」
「えっヤダヤダ、消さないでください。せっかくの晴れ舞台なのに」
「……じゃあ、雫がキスしてくれたら諦める」

 しっかりと迫り出したお腹を撫でながら、隆介はキスをせがむ。無精髭の顔にキスすると痛いんだからねと伝えると、返事をするようにトースターがチン!となった。

「ほら、トースターもそう言ってる」
「トースターより俺の方が大事じゃない?」
「まぁそうですけど」
「キスして。ほら……早く」

 目を閉じてせがむ顔は、昔と何も変わらない。ひんやりした両頬に手を伸ばして触れるようなキスをすると、隆介は顔をくしゃりとさせて笑い、さらに数回のキスを何度も続けた。

「ちょっと……まだ朝!」
「もうちょっとだけ。お願い」
「ダメですっ!パンも、焦げちゃうからっ」

 ぐいっと彼の胸を押してキッチンへ向かうと、パンはもう若干焦茶色になっていた。せっかく好きなパン屋さんまで散歩して買ったのに、とガッカリしながら、トングでパンをお皿に乗せていく。

「……隆介さんのせいですよっ」
「パパ〜! ダメだよ、ママ怒らせたらっ」
「ごめんごめん。手洗ってくるから、もうちょっと待ってて」

 雪花の頭を隆介がぽんっと撫でると、雪花は雫に向かってどうよ!と勝ち誇った顔をした。

「ほら! やっぱりパパはゆかの方がすきだと思うなっ!」
「えー。どうかなぁ〜? ママも負けてないと思うけどな〜」

 冷蔵庫からジャムとバターを取り出して、ダイニングテーブルに並べる。簡単に切ったサラダとゆで卵も3人分。昔、ぼんやりと想像していたよりもずっと暖かくて、賑やかで、幸せな時間。

 いつもはぬいぐるみの置かれている椅子に、今日は隆介がいる。それだけで、家の中はパッと明るくなったような気がする。彼がいてくれるだけで、自分も頑張れるような安心感がある。

 口には出さないけれど、そんなありがたみを感じる日々が永遠に続けばと願いながら手を合わせた。
 
 「それではみなさんご一緒に……」
 
「「「いただきます」」」
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