ハイスペミュージシャンは女神(ミューズ)を手放さない!

"永遠にあなたのもの"


 まだルームサービスを頼んで数分だというのに、不意に部屋のインターホンが鳴る。今まで泊まったことのある部屋にインターホンなんてあったかな?と雫が疑問に感じていると、たらりとスマホを見ていた隆介がさっと起き上がり、ドアの方へ気だるそうに歩いて行った。

「お前さ、いくらお前でも、趣味でやってるとこに置いてきた荷物を俺に運ばせるって……性格悪過ぎんぞ」
「わりーわりー。でも持ってきてくれてんじゃん、助かるわ」
「キャリーバッグなんか普段使わないくせに、何に使ったんだよ? さてはまたお前どっか放浪する気か?」

 すぐに荷物を受け取ったわけじゃない雰囲気で、何事だろうと玄関の方へこそこそ歩くと、隆介と同じくらいに懐かしい人の声がしている。

「んなわけねーだろ、出かける暇もないほど忙しくさせてんの誰だよ」
「そりゃ俺だけどさ! お前まじですぐフラッ……と……」

 隆介の後ろから近付いて少し顔を出すと、多田は目玉が飛び出るのかと思うほどに目を見開いて驚いた様子をみせた。揃いのバスローブのままで恥ずかしいから、顔だけは見せようと思ったのだけれど、逆効果だったみたいだ。

「し、し、……しずっ、雫ちゃん?! はあ?!」

 同様で裏返った多田の声が廊下に響く。後ろを歩いていたボーイが、迷惑そうな顔でチラリと多田の方を振り返った。

「お久しぶり……です」

 隆介の腕が雫の肩に乗る。起きたの?と声をかけられたので、声がしたのでとだけ返した。

「はあ……そういうこと……何だ、よかった……」

 多田は本心で喜んでくれているらしく、口をへの字に曲げてぼろぼろと涙をこぼし始めた。1年しか経っていないとは思えないほど、顔には皺が増え、だいぶ白髪が目立つ様になっている。

「じゃ、そういうことだから。荷物、ありがとな」

 お疲れーと声をかけた隆介はヒラヒラと手を振ると、早々に扉を閉めて雫を抱き上げた。軽々とベッドへ運んで、ヘリに降ろす。

「これ、わざわざ多田さんに運ばせたんですか?」
「だって、雫の着替え、こんなかでしょ?」
「まぁそうですけど……」
「それに一応、あいつには心配かけたから――報告的な」
「……なる、ほど?」

 雫には、男性同士の友情なんてわからない。

 それでも、一応知らせておこうとした隆介の行動と、雫の来訪にあんなにも泣いて喜んでくれる多田の存在にありがたみを感じた。

「あの、喧嘩……したんですよね?」
「ん? あぁ、雑誌見た?」
「……見ました。ちょっとだけ」

 本当は、隆介が載る雑誌は全て発売日に届く様に手配していたなんて、未練がましくてとても言えない。写真は直視してしまうと恥ずかしくてなかなか見られていないけれど、音楽誌の長文インタビューや質問コーナーなどは何度も読み返して、隆介の声を思い出していた。

「あいつが雫をそそのかしたかも、ってのが発端で喧嘩してたんだけど、段々全部にむかつく様になってさ」
「全部に……?」
「あいつが俺らを尊重してるフリして自分の意見殺したり、日程的にハードそうな仕事は断ってたり、そういうとこ。で、重なった日にドン、と」
「ドン……?」
「まぁ……そこで大喧嘩したって話。でももう大丈夫」

 雫の足元に跪いた隆介は、自身の長いネックレスを器用に外して、右手に握った。隆介の左手が、ベッドについていた雫の左手を掬い上げる。

「順番がおかしくなったけど……白波瀬 雫さん」

 ふたりの熱っぽい視線が、どちらともなく重なる。
 寝起きにすっぴんの雫と、洗い立てでまだ若干の濡れ髪のままの隆介。それは、誰かのために着飾った姿ではなく、普段のありのままの自分の姿を晒せる相手。

「俺と、結婚してください」

 屈託のない笑顔で見上げる隆介は、昨日あんなに雫を抱き潰したあの人と同一人物だとは思えないほどに、ピュアな笑みを雫に送った。

 振り返ればいつだって、彼は雫を愛してくれていた。意地悪な態度も、優しい手つきも、時々見せる可愛い笑顔も、その全てが「雫を愛している」と言っていたように思う。

 こんなにも極上の愛をくれる人は、後にと先にもこの人しかいない。もうこの人からは離れられない。心と体が、この手を放すなと叫んでいる。

「私のペースで、ついて行ってもいいですか?」

 プロポーズに即答ではなく質問で返す女なんているのかと一瞬不安になった。けれど、こんな自分がいいと言ってくれる人なのだから理解してくれるはずだろうと思った。

「もちろん。ふたりで歩きたいんだ」
「じゃあ……本当に時々でいいので、一緒に、旅行にも行ってくれますか」
「ん。時々じゃなくて毎年にしよう」

 隆介のほんのり冷えた手から雫の体温がゆっくりと伝わり、繋いだ指先が少しずつ暖かくなってきた。2人で体温をシェアした感覚で嬉しくなる。
 
「家事も洗濯も、そんなに上手じゃないですけど……」
「出来ることを互いにやればいい。ふたりともダメなら練習だな」
「時々落ち込んでたら、笑わせてくれますか?」
「毎日だって笑わせてみせるよ」

 素顔の隆介に冗談まじりにウィンクを飛ばされると、クククと笑ってしまう。こうやって笑い合える毎日が送れるなら最高だ。
 
「ずっと……離れられなくても?」
「もう手放さないって、言っただろ」

 隆介の柔らかな唇が雫の唇に重なる。互いの唇をついばむキスは、これ以上のわがままを阻むような隆介の意図を感じた。

 チャリ、という何かが落ちた様な金属音が足元に聞こえて、ゆっくりと目を開ける。唇を離して目線を下げると、隆介の首にかかっていたチェーンが地面に落ちていた。拾い上げようとした雫の左手を、隆介が阻む。

「雫のは、こっち」

 キラキラと輝く透明な石が並んだその指輪は、雫の左薬指にぴったりと収まった。1ピースでも一般的な婚約指輪としては十分そうなサイズの石が10ピースも並んだ指輪。側面に細かな傷が入っていることも、彼が身につけていたことを感じさせてくれて、雫にはなんだか愛おしく思えた。

「こんな素敵な指輪……ありがとう、ございます」

 指輪のついた左手が信じられなくて、何度も何度も繰り返して見る。握ってみたり、手を開いてみたり。指輪はしっかりと重く、そこにあることを実感する。

「雫が俺のものだって証だから、絶対外さないで」
「ふふっ! 言われずとも、そのつもりです」

 彼に選んでもらえたことが嬉しくて嬉しくてたまらない。彼へ見せびらかすように手を顔の横へ近づけて、かわいいでしょ?と自慢した。

「かわいいよ、ほんとに」

 ベッドに腰掛けた隆介が、雫の肩を抱く。頬へ軽くキスをして、もう一度抱いてやろうという顔をしたタイミングで、ルームサービスのインターホンがなった。

 ***

 隆介が雫のために割いた時間は相当貴重なものだった様で、約束通りギャラリーをふたりで訪れた後、生放送の現場へと多田に連行されていった。

 残りの作品を見るつもりだった雫は、隆介が連行されて行ってからも、一人で作品を鑑賞していた。オーナーが彼に変わったこと、彼のセンスで集められたものだと思うと、昨日とはまた違う感想が湧いてくるから不思議だ。
 
「あの……もしかして、Museの被写体のモデルさん、ですか?」

 昨日の大学生らしき男の子から声をかけられた。多分そうです、と話すと嬉しそうに握手を求められた。

「僕、多田秋生って言います! 近衛さんの写真見て、どうしても写真やりたくなって、頼み込んでバイトさせてもらってて……」

 多田という名前で隆介の名字を知っている人など、彼に近い人間に決まっている。言われてみれば、色素の薄めの目元も、青髭の薄さもそっくりだ。どちらかといえば可愛い顔立ちで、年上女性にもグイグイいけそうな雰囲気。

「ねえ……君、もしかして、去年もここでバイトしてた?」
 
 えっどうしてわかるんですか!と驚かれて、こっちの話なのごめんねと返す。多田は白髪混じりでおじさんっぽさのあるタイプで、可愛いタイプのイケメンではない。あの時カナにチケットを渡したのは彼か、とひとり納得した。

 彼がここでバイトをしなかったら、カナが普段興味のない展示会に足を運ぶこともなくて、自分がここで彼の写真に触れることもなくて。なんという可能性の引き合わせだろう。

「どんなに無駄に思えても、振り返ると無駄じゃないことばかりだから……これからも頑張ってね」

 多田ジュニアはあまり理解出来ていない顔で、ありがとうございます!と元気に返事を返した。時刻は5時すぎ、そろそろ空港へ向かってもいい頃合いだ。

 渋谷駅から直通バスに揺られて羽田へ向かう。今までに乗ったバスの中で一番小さくて、一番古いバスだったけれど、気持ちは今までにないほど晴れ晴れとしていて、幸福感に満ち溢れていた。
 
 長崎で祖母を問い詰めると、長崎へ来てすぐ近衛という男性から電話があったこと、実は何度か長崎で彼と会ったこと、彼とふたりで計画して雫を東京へ連れ出すことにしたことなど、3時間に及ぶ弁解があった。
< 27 / 31 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop