夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

18 膝枕

 ――固い……枕、気持ちいい。固いのが好きって、誰かに話したっけ……?

 硬い枕の感触が気持ち良くて仰向けの格好から横寝の格好になると、思わずすりすりと頬ずりしてしまう。

「くすぐったいな」

 ぼんやりとした頭に、穏やかで耳触りのいい心地良い声が染み、そして、頭を優しく撫でられる。

 ――撫で……られる……?

「……?」

目を開ける。

「ぎゅ、ギュスターブ様!?」

 飛び起きようとしたが、肩をやんわりと押さえられ、ねかされてしまう。

「ひ、膝枕!? どうして!?」
「俺が隣に座ってたら、そっちが頭を乗せてきた」
「そ、そもそもどうして隣に座ったんですか!?」
「そりゃ、妻が寝返りを打ってソファーから落ちそうになってたら、見て見ぬふりはできないだろう。大きな交渉を終えたばかりの妻にたんこぶを作らせるわけにはいかない。だから念の為に備えてた。そうしたら俺の膝に猫みたいにすり寄ってきて……」
「ああもう、言わなくていいですから……っ」

 恥ずかしくって、目を見られない。

 ――無防備な寝顔を……って、それはここ最近ずっと見られているから今さらよね……。

 とはいえ、やっぱり無防備な姿を見られるものは恥ずかしい。

「無事に交渉が終わったみたいだな。お疲れ様」
「あ、ありががとうございます」
「商人ども、外で揉めてたぞ? だいぶ連中に痛い目を見せたようだが、どんな手を使ったんだ?」
「さあ。私はただ彼らに利を解いただけですから」
「お前が男だったら優秀な軍師になれただろうな」
「……それ、褒めてますか? ぜんぜん嬉しくないんですけど」
「俺としては最上級の褒め言葉のつもりだったが」

 火照った顔を手であおぐ。

「それにしても、お前の寝顔、あどけないんだな」
「毎日のように見てるのに何を言ってるんですか?」
「ん? あぁ……そうだったな」
「……膝を貸していただいてありがとうございました。もう眠気も吹き飛んだので」

 頬を染めたフリーデは咳払いをして、立ち上がろうとしたが、やっぱり肩を押さえられると、ギュスターブは立ち上がった。

「俺が部屋を出るから、しばらく休んでろ。ここ最近、今日の準備で働き通しだったんだろ」
「別にそこまでではありませんから……」

 扉が開くと、隙間からユーリがひょこっと顔を出す。

「あら、ユーリ?」
「あ、お目覚めになられたんですね。おめでとうございます。悪徳商人たちを倒したと聞きました!」
「あはは、倒した? それはちょっと違うかな。交渉だから、話し合ったのよ」
「そうだったんですね。ルードさんがすごく昂奮して、色んな人たちに倒した倒したって言って回っていたので」

 ――ルードってば、そんなこと言って回るなんて。

 冷静なルードがそんなことをする姿はなかなか想像しにくい。

「ユーリ。俺は用事があるから、フリーデのことを頼めるか?」
「任せてくださいっ」

 二人はバトンタッチをするように手を打ち鳴らすと、ギュスターブは部屋を出ていく。
 ギュスターブを、ユーリはにこにこしながら見送った。
 最近二人は、訓練で一緒にいる時間が多いようで、以前よりも息が合っているような気がする。ユーリが幸せなら、フリーデはそれで構わないのだけど、ちょっと妬いてしまう。

 ――ギュスターブ様に嫉妬するなんて。

 フリーデはソファーに座り直すと、ユーリが左隣に腰かける。

「はぁぁ……」

 フリーデは肘掛けに頬杖をつき、思わず溜息をついてしまう。
 膝枕に無防備な寝顔、もしかしたらよだれも垂らしていたかもしれない。
 ギュスターブの記憶をその部分だけ消去したい。

「フリーデ様、お疲れですけど大丈夫ですか?」
「ありがと、平気よ」
「良かった。ギュスターブ様のおかげですね」
「ん~……おかげ? うーん……原因というか」
「ギュスターブ様の夢でうなされてたんですか?」
「ん? 私、うなされてたの?」
「はい。お茶の片付けをしていたメイドがフリーデ様がうなされていることに気付いて。それをギュスターブ様が心配されて……」
「そ、そうだったの。ぜんぜん記憶にない」

 ――だったらそう言ってくれれば良かったのに。

 ギュスターブに気を遣わせて申し訳なかった。

「でもどうしてユーリは、うなされることを知ってるの?」
「僕もいましたから」
「でも……起きた時には」
「……ご夫婦の時間、僕が一緒に眠ってしまっているせいで取れてないんじゃないかって思って」
「もう、気なんて遣わなくてもいいのに」

 あんまりにもいじらしくて、ユーリを抱きしめてしまう。

「わ! ふ、フリーデ様……」

 ユーリは顔を真っ赤にしながら、ぎゅっと抱き返してくれる。

 ――はあああ……抱き返してくれるの、すごくキュンとする……!

 フリーデはユーリをだっこして膝の上にのせると、さらさらの髪に顔をうめる。
 それにユーリの髪は日向の匂いがする。
 いつまでも嗅いでいられる、嗅いでいたいかおり。

「ごめんなさい、フリーデ様」
「どうしたの。突然」

 謝られることなんて何もされてないフリーデは、首をかしげた。

「最近、僕が訓練をお願いしているせいでギュスターブ様と一緒にいるせいで、フリーデ様が寂しがってるんじゃないかって思ってて」
「そんなことない。あなたが毎日、がんばってるんだもの。寂しがったりなんかしない」
「でも何となくお二人は……えっと……うまく言えないんですけど……」

 うまく隠せているつもりだったけど、一緒にいる時間の多いユーリには何となく伝わってしまっているのだろうか。

「それは、ユーリとは関係ないことだから安心して。それに、ギュスターブ様のことを嫌ってるわけじゃないから」

 それは嘘ではない。ユーリがクッションの役割になっているくれているのか、これまでほど彼に対して強い嫌悪感を抱くことはなくなっていた。

「ただね、ギュスターブ様は戦争で領地を離れることが多くて。こんなに長く城に留まっているのは初めてなの。だから正直、戸惑ってはいるかな」
「フリーデ様も、ギュスターブ様もすごくいい人だから、僕は二人に仲良くしてほしいって思ってて」
「ユーリ……」
「ギュスターブ様は、フリーデ様のことが大好きだから」
「それはどうかな」
「嘘じゃないですよ。僕をあの家から連れだしてくれて……ここに来るまでの間、ギュスターブ様はフリーデ様のことを色々と教えてくれたんです。歌がうまいこと、はじめて会った時、天使のようだと思ったこととか。不慣れな土地で一生懸命伯爵家に馴れようと頑張るくらい努力家なところか、きっと僕のことも受け入れてくれて、優しくしてくれるだろうとか、色々と言ってくれたんです」
「そんな話をしてたの?」

 初耳なことに、照れてしまう。

「でもそれはきっと、新しい環境でユーリが不安に思わないように……」
「違いますっ」

 ユーリはむくれて、頬を膨らませる。そんな顔も可愛いから困る。思わず、膨らんだほほを指でツンツンすると、「ちゃんと聞いてくださいっ」と叱られてしまった。

「ごめんごめん。それで、何が違うの?」
「フリーデ様のことを話すギュスターブ様の目はとても優しかったんです。それだけで素敵な人だって伝わってきました」
「そうなのね。分かったわ」
「本当ですか?」

 ユーリは本当に分かってくれているのかと、ちょっと疑うように見てくる。

「大人のことは大人に任せて、あなたは毎日を楽しく過ごすことだけを考えてくれればいいから。分かった?」
「はい」

 よしよし、と頭を撫でた。


 
 ギュスターブは部屋を出て、ずっとフリーデのことを考えていた。
 それだけで鼓動が早くなる。

 うなされていたようだが、ギュスターブの膝にしがみつくと、その顔から苦悶が少しずつ消えていった。単なるタイミングの問題だったが、自分が彼女の力になれたように思えて嬉しかった。

 ――フリーデの寝顔は、やっぱりあどけないな。まだ十八歳だ。城の誰よりしっかりしているからつい実際の年齢を忘れそうになる。

 たとえフリーデに何と思われようとも、彼女を守るという気持ちに偽りはない。
 それが結婚した時、ギュスターブが誓ったことなのだから。
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