夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

19 来客

 とある昼下がり。フリーデは城の車止めに見知らぬ馬車が止まっているのを、窓ごしに見つけた。

 ――あれは?

 来客の予定があればフリーデにも伝えられることになっているはずだが、そんな話は聞いていない。伝え忘れか、緊急の用件なのだろうか。

「ルード」

 廊下に出ると、ちょうどルードを見かけたので声をかけた。

「あ、奥様、いかがなさいましたか?」
「外に馬車が止まっているようだけど、どなたの馬車?」
「えっと……」

 いつもは聞かれたことに的確に答えてくれるはずの優秀な執事が、曖昧な表情で言葉を濁す。

「ギュスターブ様へのお客様?」
「……左様でございます。ミレイユ伯爵様でございます」

 ミレイユはたしか、この領地と境界を接する土地を治める貴族だったはず。

「そうなのね。だったらご挨拶を――」
「いえ、その必要はないかと。お二人とも真剣な話をされているようですので」
「そうなの? ……分かったわ」

 ――会わない方がいいなんて、どんな話し合いをしているのかしら。

 フリーデはルードの反応に違和感を覚えた。
 普段とは違うルードの反応にも胸騒ぎを覚えてしまう。
 メイドたちのひそひそ声が聞こえてきた。

「あの伯爵様、すごい剣幕だったらしいわよ」
「本当。ヘイリーがお茶の当番だったでしょ。とても部屋に入れなくて戻ってきたみたいよ」
「怒鳴り込んでくるなんて、伯爵様が何かやらかしたってこと?」
「さあね。お貴族様の考えてることなんて分かるわけないじゃない」
「怖い怖い。触らぬ神にってやつね」

 怒鳴りこんできたというのは穏やかではない。
 国境線の問題か、はたまた経営に関することか。

 ――それとも、ユーリ? いえ、ユーリのことは皇帝には知られていないはず。

 しかし一度芽生えた不安は、心の中で大きく膨れ上がる。
 一応確認するだけ。そう自分に言い訳をしたフリーデは応接室へ近づくと、使用人たちが心配げな顔で、部屋の前にいた。

「みんな、何をしてるの……」
「あ、奥様――」
「――本当に申し訳ないと思っているのか! ええっ!?」

 部屋から聞こえて来たヒステリックな男の叫びが、空気をびりびりと震わせる。

「っ!!」

 あまりの衝撃に、口を押さえてしまう。

 ――な、なに今の……。

「はい、心から」

 応じるギュスターブの声は、冷静というか、心から申し訳なく思っているように沈んでいる。彼がこんな声を出すことが信じられなかった。
 同じ伯爵なら先に叙爵されたほうの格が上ということになる。

「だったら、来てくれ! お前がいなければ、大切な土地を奪われる!」
「それに関しては繰り返してますが、行けません」
「行けない行けない行けない……! オウムでももっと多くを話すぞ!?」
「どう言われようとも私の結論は変わりません。領地を空けるつもりはありません」
「お前が、最初に、どんなことでもするから領地戦に加えて欲しいと頭を下げてきたから、認めてやったんだぞ! 恩を仇で返すのか!?」

 領地戦とは貴族同士の紛争解決の手段だ。
 本来貴族同士が戦うのは私闘禁止の法に背くが、皇帝の認可を受けることで、公然と戦うことができる。
 決闘の拡大版だが、ルールが色々と決められている。
 事前にどこどこの領地を巡って争うと申請を出し、そこを占領されれば速やかに停戦し、それ以上の紛争拡大をすれば、その貴族は法に背いた反乱者認定される。
 貴族が平和にかまけ、戦備を怠らないよう発案された施策と言われている。
 この領地戦のために貴族は傭兵を雇い入れ、周辺貴族に援軍を頼む。

「それには感謝しています。しかし私が参加したことで、これまでの戦いで伯爵は多くの恩恵を得たでしょう。私の責務は果たしたと思っています」
「だからこそ、だ! 私が勝てているのはお前のお陰だ! お前なしでは負ける! 恩人を見捨てるのか!?」
「何を言われようとも私は――」

 ドン、と鈍い音がした。

 ――今の音は!

 考えるよりも先に体が動いていた。

「お、奥様。いけません。伯爵様から誰もいれるなと……」
「邪魔しないでっ」

 止めようとする使用人たちを振り払い、部屋に飛び込んだ。
 初老の男性、ミレイユがその手に石造りの灰皿を握っていた。
 そこにはかすかに血がついている。
 立ち尽くすギュスターブのこめからから血が流れた。

「何をしているんですか!」

 フリーデはギュスターブを守るように、ミレイユの前に飛び出す。

「誰だ、お前は!」
「ギュスターブの妻です! 誰か、シオンとスピノザを! 急ぎなさい!」

 はい、と使用人たちが駆け出していく。
 ギュスターブが肩を掴み、押しのけられてしまう。

「俺なら、平気だ」
「どこが平気なんですか! 血が出ているんですよ!」
「これくらいどうということでもない」
「そうは見えません!」
「……少しこめかみが切れただけだ」

 血がこめかみから頬、顎へと伝う。

「は、話にならん! これで失礼する!」

 ミレイユは乱暴に灰皿を投げ捨て、逃げようとするかのように部屋を出る。

「待ちなさい、こんなことをして逃げるのですか!?」

 フリーデは相手の態度が許せず、立ちはだかった。

「どけ!」
「どきません! 人の家に怒鳴り込んで、あまつさえその家の当主を殴り付けるなんて、正気とは思えません!」
「邪魔だと言っているのが分からないのか!」

 ミレイユが殴り付けようと右手を上げる。

「っ!」

 反射的に目を閉じるが、衝撃も痛みもこなかった。
 恐る恐る目を開けると、ギュスターブがミレイユの右腕をひねりあげ、彼を跪かせていた。

「俺に何をしても構わない。だが妻に手を出せば、その喉笛を掻ききるぞ!」

 ミレイユは痛みと恐怖のせいか、顔を青ざめさせてガクガクと震えて言葉も出ないようだった。
 そこへシオンと、スピノザが駆けつける。

「スピノザ、伯爵がお帰りだ。国境まで送り届けろ」
「はっ」
「こ、この恩知らずの戦闘狂め……っ」

 ミレイユは逃げるように、部屋を飛び出していった。

「シオン。ギュスターブ様を診て。灰皿で頭を殴られたの」
「かしこまりました。伯爵様、お座り下さい」
「大丈夫だ。これくらいで伸びるほど柔じゃない」
「頭部への怪我はあとあと重たい後遺症をともなう可能性もあるんです。自己診断は危険です」
「だから」
「ギュスターブ様、言うことを聞いてください。お願いします」

 フリーデが強く言うと、「……分かった」と彼は大人しくソファーに腰かけた。
 シオンはすばやく傷の具合を目視や触診で確かめる。

「手の痺れはございますか? 吐き気は?」
「いいや、少し痛むくらいだ」
「シオン、大丈夫なの?」
「ひとまず様子を見ましょう。どんな些細な変化でも構いません。なにかあればすぐに仰ってください」

 シオンはギュスターブの頭に包帯を巻く。

「ありがとう、シオン」
「では失礼いたします」

 シオンは一礼をして部屋を出ていく。ギュスターブもそれに続こうとするので、フリーデは呼び止めた。

「待ってください」
「何だ?」
「どうしてあんなことになったんですか」
「領地戦か? 行くつもりはない」
「……でも、これまで散々、あなたは出兵されてきたではありませんか。それを断るなんて。それもあんなことまでされても」

 以前もたしか援軍の要請を断っていた。
 ミレイユはかなり切羽詰まっていた。
 そうでなければ、若輩とはいえ、同じ爵位持ちのギュスターブにあんな乱暴な真似ができるはずがない。

「お前と、ユーリと共にいたい。もう二度と、何年も家を空けるようなことをしたくない。それだけだ」
「その気持ちはとても嬉しく思います。ですが、あんな理不尽な真似をされて黙っているのは間違っています。血まで流すなんて……もし、もっと大きな怪我につながったらどうするつもりなんですか? それこそ、ユーリを悲しませてしまうではありませんか!」
「……そうだな。悪かった。少しでも伯爵の怒りを押さえられればと思ったのだが、短慮だったな」

 しゅんとしたギュスターブは目を伏せた。

 ――何かしら反論されると思ったけど。

 がたいの大きなギュスターブが背中を丸めて俯く姿なんてはじめて見る。

「……もういいです。ただし、あの人を屋敷はもちろん、領地に入れたくありませんから、出禁でよろしいですね。当主にこんな真似をしたんですから」
「分かった。衛兵に徹底させる」
「お願いします。それから、シオンの言った通り、何かあればすぐに言ってください」

 うん、とギュスターブは素直に頷く。
 そのしおらしさが、なんだかいつもと違って、調子が狂う。

「ともかくそういうことです。部屋で休まれますか?」
「……そうだな。少し休むか」
「では」
「ん?」

 フリーデが差し出した手を、ギュスターブが不思議そうに眺める。

「手を握ってください。ふらついたりして階段を転げ落ちたりしては危険ですので」
「そうなったらお前まで巻き込むだろう」
「あ、確かに……って、なんで手を握るんですか? 私を巻き込みたいってことですか?」

 ギュスターブは苦笑する。

「そうじゃなくて、倒れたりしないということだ。それよりせっかく差し出された手を無下にしたくない」

 ――やっぱりギュスターブ様の手、すごく大きい……。

「どうかしたか?」
「い、いえ。……それじゃ、行きましょう」
「そうだな」
「……手を握っているだけで、そんなニヤニヤしないでください。気になりますので」
「殴られるのは不愉快だったが、こういうおまけがつくのなら」
「それ以上、馬鹿なことを言ったら、私が殴りますよ」
「すまない」

 せいいっぱい怖く睨んだつもりだったが、ギュスターブは軽く肩をすくめるだけだった。
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