婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む

牢の中で

 薄暗く冷たい地下牢の中で、アマリリスは肌身離さず身に着けているロケットペンダントをぎゅっと握り締めていた。ロケットの中には、彼女の最愛の母の形見である、一房の白銀の髪が入っている。それは、アマリリスが受け継いだのと同じ髪色だ。

 固いベッドに腰掛けていると、階段を下りてくる足音が次第に近付いてきた。アマリリスが視線を上げると、ネイトとカルラの姿が目に映った。

「お姉様」

 最初に牢に駆け寄って来たのはカルラだった。彼女の手には、今も聖女の杖が握られている。彼女は牢の中のアマリリスを覗き込むと、ネイトを振り返った。

「ネイト様。いくらお姉様が私の力を妬んで、私の命を狙ったからといって、こうして牢に閉じ込めておくというのも……」

 カルラの言葉を、アマリリスは牢の中から遮った。

「違うわ、カルラ。私、そんなことはしていない」
「黙れ」

 恐ろしい声でそう言ったのはネイトだった。ネイトはカルラと、その手にある聖女の杖を見つめた。

「カルラがお前に、聖女の杖を貸して欲しいと頼んだ時、お前はそれを断っただけでなく、杖の先でカルラを刺そうとしたそうだな。本当は彼女こそが聖女だと、そう発覚してしまうことを恐れたのだろう」

 聖女の杖の尖った先端は、竜の尾を模してあり、鋭い銀色の刃のようになっている。けれど、アマリリスは首を横に振った。

「それも違います。私は……」

 確かに、カルラがアマリリスの持っていた聖女の杖を羨ましそうに見つめ、貸して欲しいと口にしたことはあった。けれど、それは無理矢理にアマリリスの手から杖を奪い取ろうとしながら言われた言葉であり、彼女は咄嗟に妹の手を振り払っただけだ。聖女の杖は僅かにカルラを掠めはしたけれど、彼女は無傷だったし、妹を傷付けようなどと、アマリリスは考えたこともなかった。

 ネイトはアマリリスの言葉には聞く耳を持たずに薄く笑うと、視線を彼女からカルラへと移した。

「なあ、カルラ。やられたことは、やり返せばいい。その聖女の杖で、アマリリスに自らを貫かせたらどうだ。そうしたら、これ以上、彼女は牢の中にいる必要もない」

 彼の笑みに、アマリリスはぞっと背筋が冷えるのを感じた。ネイトが忌々しそうに続ける。

「役立たずの上に、いつも無表情で、身に着けるドレスだって地味で流行遅れのものばかり。どうして、姉妹でこうも違うものなのだろうな」

 カルラは王国でも流行の最先端の、肩を大きく出した淡い黄色のドレスを身に着けていた。彼女の色っぽい身体の線を惜しげもなく拾うそのドレスは、可愛らしい彼女をよく引き立てている。それに引き換え、アマリリスが纏っているのは、露出の少ない紺色のドレスだった。彼女の華奢な身体が泳いでしまうようなそれは、お世辞にも似合っているとは言い難い。

 アマリリスの義母が用意したそのドレスを、文句も言わずに彼女が着ていたことには理由があった。彼女の肩や背中には、それまで義母やカルラが腹を立てる度に、彼女を火掻き棒で思い切り打った痕が消えずに残っているからだ。アマリリスが回復魔法を使えるようになってからも、まだ古傷を消すことはできずにいる。自分たちのしてきた仕打ちが明るみに出ることを恐れた義母は、アマリリスの傷痕を隠せて、かつカルラの引き立て役にしかならないようなドレスばかりを選んでいた。傷のある聖女なんて外聞が悪い、お前の力だって疑われると、そうアマリリスに言い添えることも忘れずに。

 カルラは手にしていた聖女の杖とアマリリスを見比べてから、慎重に口を開いた。

「神聖な聖女の杖でお姉様を血塗れにさせてしまうなんて、私は反対ですわ」

 ここで仮にアマリリスが自害すれば、まず間違いなく姉の身体は検あらためられるだろうと、カルラは考えていた。姉への虐待の可能性が、そこで明らかになる可能性を懸念していたのだ。

「それよりも、お姉様にも救いのある道を提示して差し上げてはいかがでしょう」
「ほう、やはりカルラは優しいな」

 目を細めたネイトが、愛しげな視線をカルラに向け、それとは真逆の凍てつくような視線を牢の中のアマリリスに投げる。

「とはいえ、真の聖女のカルラを害そうとしたのだ。アマリリスを厳罰に処すことは免れないが……」

 ネイトの耳元で、カルラが何やら囁いた。ネイトの瞳が残忍な光を帯びる。彼は満足気に頷いた。

「良い案だ。もしアマリリスが本物の聖女だったなら、きっと問題はないだろうからな」

 目を見交わした二人は、アマリリスに向き直った。

「アマリリス、お前に最も相応しい場所に追放してやろう。……カルラに感謝するんだな」

 ネイトはそう言い捨てると、振り返ることなく、カルラと共に牢の前から立ち去って行った。
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