三角関係勃発!? 寝取り上司の溺愛注意報

三章 まさかの三角関係の件③

 藤本の行きつけだという個室の居酒屋で、三人はテーブルを囲んでいた。沙耶と尚樹がなんでもいいという態度だったので、藤本が適当に頼んだ酒と料理が並んでいる。しかし誰もなかなか箸が進まないので、ややあって藤本が口火を切った。

「今日は付き合わせて悪かったな、小林」
「……ほんとですよ」

 尚樹はムスッとしながら、ビールジョッキを傾ける。
 隣の沙耶はちびちびとジントニックを舐めていた。
 おちょこで日本酒を飲みながら、藤本は尚樹にさらに話を振る。

「でもさ、沙耶がこのままじゃかわいそうだから……わかるだろう?」
「沙耶って――名前で呼ぶほど、そんな気安い関係なんですか?」

 ダンッとジョッキをテーブルに叩きつけ、尚樹が藤本をねめつけた。

「てか、ここではっきりさせておきたいんですけど、あの飲み会のあとで沙耶を寝取ったつもりなのかもしれませんが、沙耶はオレの彼女なんで勘弁してもらえないっすかね」
「だから寝取られてないって!」

 ぞんざいな尚樹の言い方を見かねて、慌てて沙耶が口を開くも、とうの藤本が手でそれを制する。

「いや、俺のほうは沙耶を寝取ったつもりだけど?」

 クスッとからかうように笑う藤本を前に、沙耶は真っ赤な顔でパクパクと口を開閉させるしかない。
 尚樹のほうはより怒り心頭なのか、ものすごい勢いでビールを飲み干した。そしてプハーッと、大仰に息をつく。

「やっぱりふたりはそういう関係だったんすね。……オレのこと咎められねえじゃんよ」

 ギロリと、尚樹が今度は沙耶をにらみつけた。
 その言葉に、沙耶はカッと頭に血がのぼってしまう。

「そりゃあ確かにあの飲み会のあと藤本課長の家にいたけど、ほかの女と寝てた尚樹に言われたくないよ!」
「田辺美保子、だっけ?」

 横から藤本が口を挟む。
 即座に尚樹が反応を示した。

「あんたには関係ないと思うんすけどね」
「いや、関係あるよ。沙耶の元彼のことだから」
「今彼です」

 藤本と尚樹、一触即発の雰囲気に、沙耶はオロオロする。けれどこの場で齟齬があるのは、間違いなく沙耶と尚樹の認識の違いだったから、ここで明確にさせないといけないと思い直した。

「……ううん、尚樹。こんな状態の私たちで、いまは付き合ってるとは言えないよ」
「沙耶、マジで言ってんの?」

 愕然とする尚樹に、沙耶は意を決してうなずく。
 けれど尚樹はめげなかった。

「沙耶、何言ってんだよ? オレとお前の五年間があるだろう? それがたかだか一度の浮気ぐらいでなくなるような関係なのかよ」
「尚樹……」

 沙耶を苦しめた要因を“たかだか一度の浮気”と言い張る尚樹に、心底がっかりした。

「田辺美保子とのこと……私、すごく傷ついてたんだよ……?」
「それだけどさ」

 またしても口を挟もうとする藤本に、いい加減うんざりしたのか尚樹が声を荒らげる。

「藤本さんは黙っててくれませんかねえ? これはオレと沙耶の問題だから」
「いや、黙ってられないね」

 しかし藤本は目の前の日本酒を脇に寄せると、真剣な面持ちで先を続けた。

「小林、お前は本当に田辺美保子と浮気したのか?」
「っ……だから、それは――」
「俺は立場上、社員の管理もしてるから、いろいろ噂は聞いてるんだぜ」

 ニッと、藤本が口角を上げた。
 その瞬間、明らかに尚樹がうろたえる。
 沙耶だけが蚊帳の外で、え? え? と、尚樹と藤本を交互に見つめるしかない。
 尚樹が初めて口調を改め、藤本に懇願する。

「藤本さん、すいませんっ……それだけは、この通りですから……っ」
「あ、あの、どういうことですか?」

 オロオロする沙耶は、藤本に助けを求めた。
 藤本が当然のように言葉を継ぐ。

「小林の罪はひとつだけじゃないってことさ」
「え……そ、そんな――」

 愕然として目を見開き、沙耶は隣の尚樹を見た。
 尚樹はうつむき、下唇を噛んで小刻みに震えている。
 藤本はことさら優しい声で、沙耶に促した。

「俺の口から言えるのはここまでだけど、あとは沙耶、君が決めるんだ」
「決めるって……でも、だって……浮気はあの一度きりじゃなかったの……?」

 困惑する沙耶が、責めるように尚樹に問いかける。
 尚樹は何も言わず、空になったジョッキを握りしめたままだ。

「ねえ、尚樹! 答えてよ!」

 沙耶が声を上げると、尚樹は心底申し訳なさそうな顔を向けてきた。

「……ああ、一度じゃない」

 瞬間、世界の前提がすべて覆されたような気がした。この五年間、一緒に積み上げてきた信頼も絆も、いっきに崩れ去っていく。自然と胸のうちが熱くなり、涙の奔流となってこぼれ出てきた。

「な、おき……っ、ずっと、ずっと信じてたのに……っ」

 しゃくり上げる沙耶をなだめるように、藤本が優しく声をかけてくる。

「沙耶。もう俺が言える段階じゃあないが、小林はほかの部署の女の子にもあちこち手を出してる前科持ちだ」
「――あ、あちこち?」
「ああ、そうですよ。でもそれが藤本さんに関係あるんすかね?」

 唐突に開き直った尚樹の言い分に、沙耶はおぼえずショックを受けた。

「尚樹っ……いままで私を騙してたのに、よくそんなことが言えるわね」

 キッとにらみつけるも、尚樹の目は完全に据わっている。

「騙してたわけじゃねえよ。ただ、五年も付き合ってるとマンネリ気味になるだろう? だからオレは――」

 パアン! と、室内に乾いた音が響き渡った。
 沙耶が尚樹の頬を張ったのだ。沙耶は涙を流しながらも、気丈に振る舞う。

「もういいよ、尚樹の本心はよくわかったよ。私たち、これで完全に終わりだから」
(結婚も考えてたのに、まさか尚樹がこんな非情な人間だっただなんて……!)

 荷物とコートを手に、沙耶は立ち上がった。もう一秒でも尚樹と同じ空間にいることが耐えられなかったのだ。

「これ、私の分です」

 財布から千円札の束を出すも、藤本が首を横に振る。

「ここは俺が持つから、気にするな。あと送ってくから、一緒に帰ろう?」
「藤本課長……」

 藤本の優しさに触れ、沙耶の目から再び涙が込み上げてきた。
 尚樹は完全に無言になり、沙耶に打たれた左頬を押さえたままうつむいている。
 その姿にざまあみろと、沙耶は思ってしまう。

「飲み足りないなら好きに飲んでいくといい」

 藤本はそう言って、テーブルに万札を数枚置いた。
 それでも尚樹は反応しない。
 沙耶と藤本は互いに目を見交わし、尚樹をその場に残して店を出たのであった。
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