眠れる海の人魚姫〜政略結婚のはずが、御曹司の一途な執着愛に絡め取られました〜
 脳裏に今までの嶺人とのやり取りが蘇る。美雨に向けられていた、思慕を垣間見せる言葉の連なり。美雨の好みを把握し、困らないように手を尽くすこと。美雨の一挙手一投足を見守り、ときおり甘やかに緩む瞳。
 全て、ただの慰みだと思っていた。だって嶺人は美波が好きで、美雨は贖罪のために引き取られたに過ぎないのだから、と。
 ――そうではないとしたら?

「美雨? どうした、顔色が悪いぞ。大丈夫か」

 嶺人が眉根を寄せて、美雨の方へ手を伸べる。まただ。美雨が動揺すると、嶺人は心配そうにする。

(私には、そんな価値はないのに)

 ふいに胸を突き上げてきた思いに、目の奥が熱くなった。歯を食いしばってパッとうつむく。よく磨かれた床には海月とともに美雨の顔が映っていた。今にも泣き出しそうな、世にも情けない表情だった。

「――いえ、大丈夫です」
 美雨は軽く目元を拭い、杖を握り直す。手のひらに触れる杖の取っ手の冷たさが、何とか美雨をこの場に留まらせていた。
「屋上に行きませんか。……少し、夜風にあたりたくなって」

 張り詰めた美雨の様子に何かを感じ取ったのか、嶺人は真面目な顔で首肯した。海月に囲まれたトンネルを抜けて屋上へと向かう。嶺人は美雨の手こそ取らないものの、歩調を合わせてくれているのがわかる足取りだった。
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