初恋のお兄ちゃんはIT社長?!執着社長の溺愛デイズ

天沢由紀は出会う

「あ、起きた。どう? 調子は」

 瞼も腕も何もかも、ただひたすらに全身が重い。こめかみはガンガンと殴られているように痛む。状況を整理しようと起き上がると、おでこから熱々のジェルシートが外れて、布団にペロンと落ちた。
 
 ポンコツな頭を抑えながら、由紀は一生懸命にここへ来たことを思い出そうとした。けれどどんなに頑張って頭を働かせても、階段でヘロヘロになりながら、チラシを拾った記憶までしか出てこない。
 
「あの、ここ、どこですか……?」

 声の主の方を見て声をかけるけれど、視界がぼんやりとしていて顔を見つめきれない。グレーのスラックスにシャツ、高級そうな腕時計。胸元が少し開いているところを見ると、仕事終わりのサラリーマンだろうか。

「ごめん、本当は病院の方がいいと思ったんだけど、熱があると受け入れてくれないとかで……ここは僕の家」
「えっと……すみません。それって、どういうことですか?」
「僕の事情を話すと長くなるんだけど、僕は……で、君が…………それで……」
 
 状況が全く理解できなくて、質問したところまでは良かった。けれど考えようとするたびに耳がボワボワと音を弾くようで、彼が話す言葉がほとんど聞き取れない。

 起き上がっていることすら辛くて少し布団にもたれるように体を傾けると、家主はごめんと謝って私を再び布団の中へと戻した。

「まずは朝まで休んで、それから話そう」
 
 胸元まで被っていた布団を肩まで上げて、隙間を埋めるように布団を体の間へ差し込む手。少し骨張ったその手は、なんだか色気を感じるなと思ったところで、由紀はまた意識を失うように眠りについた。

 ***

 カーテンの隙間から漏れる朝日が顔に当たって、眩しさを感じる。自分の状況をまだよく理解できていないまま、耳元で鳴り続けるバイブレーションで飛び起きた。アラームかと思いきや、時刻はまだ6:00。

 スマホの画面には、後輩の”芹沢くん”の表示が出ている。

「……はい、もしもし」
「あっ! 天沢さん! 大変なんです!」
「ん……どうしたの?」

 実は……と話し出した芹沢の話は散々なものだった。由紀が体調を崩した後、予約の入っていた新規様の予約を店長が対応したらしい。

 芹沢が騒いでいる問題は、その対応内容のこと。心理的瑕疵物件をあえて隠して案内して、仮申し込みまでさせたとかで、その接客内容がSNSで炎上しているとのことだった。

 心理的瑕疵物件とは借主・買主に"心理的な抵抗が起きる事柄"を指す。よくあるのは自殺・他殺・事故死・孤独死などがあった物件、いわゆる事故物件と言われるアレだ。

 説明責任があるのは事件直後の入居者のみで、その次からは必須ではない。だというのに、まだ事件から数ヶ月しか経っていない事故物件を、店長は説明せずに勧めたらしい。

「昨日の午後の内見で、この時間に炎上って……早くない?」
「それがどうやら、相手は物件マニアだったらしくて。事故事故ウェブって知ってます? あれの管理人だったらしいんですよ」
「あぁ、事故物件マニア……」

 物件を見ることを趣味にしている人間というのは一定数居る。かくいう由紀も、不思議な形の間取りが好きなタイプの物件マニア。アールのついた壁や極端に細い家など、どうしてこうなった?という間取りを見つけると、心がワクワクする部類。

 だからこそ、事故物件マニアの恐ろしさはよくわかる。彼らは執念深いし、疑り深い。怪しいと思うとすぐに仲間の結束力を使って隅々まで関連情報を調べ上げたり、口コミを荒らしたり……時にはその情報の真偽を確かめもせず通ふしたりすることもある。

「厄介なのに引っ掛かっちゃったね」
「しかもアイツら、SNSには天沢さんが内覧担当とか書いてて……昨日は彼氏に連れられて早退してったのに」
「んんんん……っ!? 彼氏?!」
「もう今更隠さなくたっていいですよ。あんなハイスペ彼氏なら、男の僕でも隠したくなる気持ちくらいわかります」

 いやぁ〜お姫様抱っこを生で見る日が来るとはね〜などと話す芹沢に、若干引き気味で冗談を言うなと伝えていると、寝室のドアが開く。シンプルなロングTシャツにスウェットの男性がドアを開けて、こちらを気にしている。

「あっごめん、また後でかけ直すから!」

 急いで電話を切って、家主にペコリと頭を下げる。うるさくしてしまって、起こしたかもしれない。ここが彼の家だと言っていたことは覚えている。

 (私がこの時間までここで眠れたってことは、彼は別の場所で寝たってことで……)

「あの、すみませんっ! こんな時間までお世話になってしまって」
「いやいいよ、気にしないで。そんなことより体調は?」
「あ、えっと、だいぶ楽になりました!」

 もう元気なので、お暇します!と体の前でガッツポーズを取ると、その男性はベッドサイドに座って由紀のおでこに手を当てた。彼のセンターパートの前髪がさらりと流れる。長いまつ毛は女性顔負けで、芸能人を思わせるような整った顔立ち。

「……んーん、まだだめ。もう1日寝てること」
「えっでもここはあなたの家だし、仕事が」
「僕のことは気にしなくていいから。仕事なんて、君がいなくてもなんとかなるだろ」

 着替えを持ってくるから待っててと一度部屋を出た彼は、すぐに白いTシャツとコンビニのパック下着を持ってきた。スーツとカーディガンは壁にかかっているけれど、シャツを着たまま眠っていた。もう随分と汗をかいてしまっていて、シャツは若干透け感がある。

「うちに女性物はないから、今夜はこれで我慢してくれる?」

 羞恥心で声が出ずコクコクと頭を振ると、優しい彼はいい子だと微笑んで、部屋を後にした。幼少時、一緒に遊んでくれていた近所のお兄ちゃんと同じ口癖。大人になってから可愛がられたのは久しぶりで、思わず頬が紅潮する。
 
(初対面なのにベッドを貸してくれて、着替えまでも出てきて、申し訳なさがすごいな……)
 
 問題ないと思っていても、ベッドから出て着替えるとゾクリとした寒気がまた由紀を襲った。
 軽くて暖かい布団が偉大すぎる。このまま部屋から出て家に帰れるとも思えず、判断力を失った由紀は素直にベッドへ潜り込んだ。
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