追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

10.その歌姫は、語らない。

 エレナが泣いている間、ルヴァルは何を言うでもなくただそこに居続けた。
 気を利かせてそっと席を外していたリーファが部屋に戻ると、ソファーに片肘をついてエレナの黒髪を撫でるルヴァルと泣き疲れたのかルヴァルのすぐそばで丸くなって眠るエレナの姿があった。
 ブランケットを持って静かに近づいて来たリーファは、

「よく眠ってらっしゃいますね」

 と寝息を立てるエレナを微笑ましそうに見つめる。
 表情をあまり出さないエレナは、それでもどことなく自信なそうな様子で、いつも所在なさげに小さくなっていた。
 けして迷惑をかけたり煩わせまいとするかのようなエレナは、世話を焼く侍女に対しても申し訳なそうで、なかなか頼ってくれない。
 そんなエレナが人前で安らかな顔をして眠っている。その事が単純に嬉しくて、主人に対して失礼かもしれないがそのあどけない寝顔がとても可愛く見えた。
 
「エレナは手負いの野良猫みたいだな」

 髪を撫でながらクスッと笑ったルヴァルが小さな声でぽつりと漏らす。

「こんなに可愛いエレナ様をノラ扱いしないでくださいませ」
 
 それを聞いたリーファは眉を吊り上げ、そう抗議した。

「……猫はいいのか?」

「可愛らしさと警戒心の高さではネコと似通った所もございますので」

 気まぐれに振り回してくれる事はありませんが、とリーファは冗談めかしてそう笑うと、ですが、とやや強い口調で、

「エレナ様には私達が誠心誠意お仕えし、日々丹精込めてエレナ様を磨いているのですよ! こんなに毛艶のいいノラネコがいるわけないではありませんか」

 失礼が過ぎますと口を尖らせたリーファはふわっとエレナにブランケットをかける。

「早くここがエレナ様にとって居心地のいい場所になってくれるといいのですが」

 いつも起床を促す前には起きていて簡単に身支度を整えているエレナが、無防備に寝ている。これが常になる日が早くくればいいのに、とリーファは思わずにはいられない。

「まぁ、初めの頃よりは随分マシになったか」

 迎えに行って初めて対面した時のエレナは今よりだいぶ青白い顔をしていて、髪も手もかなり荒れていた。
 だが今ここで寝息を立てている彼女は濡れ羽色の柔らかな触り心地のいい黒髪を持ち、血色の良くなった肌は薔薇色に艶めいている。

「マシって……言い方。ホンットお館様のその取り繕わなさは何とかならないんですか」

 そのうち愛想を尽かされますよとため息をつくリーファに、

「性分だからな」

 とルヴァルは肩を竦める。

「それに、本来のエレナはこの程度ではない」

 今は閉じられている深い紫色の瞳が昔のように自信に溢れて優しげに笑ったなら、誰もが彼女の美しさに見惚れるだろうなとルヴァルは思う。

「そうなる前に、いっそ鈴でも付けておこうか」

 エレナがどこにいても、彼女に降りかかる危険が分かるように。
 案外有りかもしれないなどとルヴァルが思考を巡らせた所で、

「え、何それ怖っ。普通にドン引き案件なんですけど」

 エレナ様磨きもエレナ様が可愛いのも同意しますが、それはないですとリーファはルヴァルにないわぁと引き気味に首を振った。

「お前たちには主人に対してもう少し畏敬の念や遠慮はないのか」

「すみません、性分なもので」

 ルヴァルがしたように肩を竦めて見せたリーファは悪びれることなくそう言った。

「それに今更ではありませんか? お館様がそんな人間ばかりを配置したのでしょう」

 リーファは紅玉の瞳を瞬かせ薄く笑う。

「ここは最北の地バーレー。国境を巡る諍いも魔物との戦闘も常である国の防衛最前線です。特にこの城はお館様のために命と忠誠を誓う荒くれ者ばかりが集う戦闘集団の砦。血の気の多さは折り紙つきですよ」

 自分の身が守れなければここでは死と直結する。

「ま、お館様の代になってから随分マシになりましたけどね」

 ルヴァルの高い戦闘能力と膨大な魔力。他者に追従を許さない圧倒的なその力のおかげで、今のバーレーはかつてないほどに落ち着いている。

「だから、まぁ大丈夫ですよ。エレナ様(非戦闘員)おひとりくらい、我々が守りますから」

 この要塞都市を堕とせる人間などいませんからと自信ありげに笑うリーファの言葉にルヴァルは否定も肯定もせず、エレナに視線を戻し、

「エレナを頼む」

 とだけ言った。

「ええ、勿論ですよー♪こんな可愛らしいお姫様の護衛など役得でしかありません」

 無愛想な魔物相手よりとっても楽しいですとリーファは機嫌良く頷いた。

「ところでお館様、本日の訪問はエレナ様にお伝えいただいていたのですか?」

 お茶を淹れ直しますねとルヴァルのために準備をしながらふと、リーファは疑問に思っていた事を口にする。
 
「いや、頼んでいた菓子ができたタイミングでたまたま時間が空いたから来ただけで、ここに来ることは誰にも言っていないが?」

 本来なら菓子を届けるのも誰かに頼むつもりだったとルヴァルは続ける。

「別にもてなしは必要ないと言っている。長居の予定もないし」

 と態度を改める気のなさそうな平常運転のルヴァルを見て、そうだろうなとリーファは納得する。

「……エレナ様がルヴァル様をお呼びになったのですか?」

「特に呼ばれてはない」

 手紙もただの礼状だったし、と言ったルヴァルは、

「何か気になる事でもあるのか?」

 と尋ねる。

「いえ、大した事ではないんですけど」

「構わない。お前の勘はよく当たる」

「勘、と言うほどのものではないです。ただ、エレナ様はどうやってルヴァル様の訪問を事前に知ったのか、と思いまして」

 今までだって、エレナのお茶に付き合った事は何度もある。
 だが、あの時のエレナは明らかに誰かの来訪を予感していたようなお茶の準備の指示の仕方だった。

「……リーファ。この事は誰にも口外するな。リオレートにも、だ」

 話を聞いたルヴァルは少し考える仕草をして、淡々とした口調で指示を出す。

「リオ様にも、ですか?」

 不思議そうに尋ね返したリーファに、

「ああ。誰にも、だ」

 短く念押しをしたルヴァルは静かに立ち上がる。

「承知いたしました」

 不思議に思いながらも出て行こうとするその背に了承を告げ、リーファは静かにルヴァルを見送った。
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