16歳年下の恋人は、そう甘くはなかった

推し活

「行ってきまーす」

「いってらっしゃい」

上村キミコは中学2年生の一人息子を送り出すと、いそいそと二人分の朝食の後片付けを始めた。広告代理店に勤務する夫は、現在福岡に出張中だ。
都心から少し外れた、比較的静かな環境を選んで購入したマンションは3LDK。
三つの部屋はそれぞれ、夫、息子、そして自分にもあてがわれた。
自分の部屋は無いというママ友の話もよく聞くので、自分は恵まれている方なのだろう。

洗い物を済ませ、四畳半の自分の城に戻る。机の上のノートパソコンを開くと、スクリーンには、一人の男のアップ画像が一面に現れた。
整った目鼻立ちをした美しい横顔は汗にまみれ、その手前には見事な三角筋、上腕二頭筋で盛り上がる腕が、白いタンクトップから伸びている。そして、おそらくその腕の先には、今まさにバスケットボールを放り上げたであろう手のひら、そして指先へと続いているはず。

少し開いた薄ピンクの厚めの唇。キミコは顔をそっとスクリーンに近づけ、その部分に自分の唇を押し付け目を閉じた。
そっと離すとスクリーンに唇の縦ジワがくっきり浮かんでいる。

キミコは頬を赤らめて、うっとりとした表情のまま椅子に座ると、マウスを何度かクリックして動画配信サイトを開いた。
ほどなくして、先ほどスクリーンを占領していた美しいアスリートが、コートを走る姿が映し出される。
既に何度も再生されている動画だ。

しばらくその映像に見入っていたキミコは、ふと机の引き出しを開けると、一番上にある白い封筒を取り出した。
すでに開封されているそれから中身を取り出す。明日のBリーグ〈東京スカイズ〉の観戦チケットだった。

(いよいよ明日だ。明日こそは彼に話しかけたい。この強い光と優しさを滲ませる眼差しを、たった一秒でも自分に向けられたら、どれほど幸せだろう…)

想像して胸が熱くなり、封筒を引き出しに戻すと、胸に漂う切ない感覚とともに深いため息をついた。
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