16歳年下の恋人は、そう甘くはなかった

44歳の妊娠報告

十一月に入り、急に風が冷たくなった。大通りからひとつ外れた、小さな公園がある通りにたたずむ個人産院。
その玄関の押し扉を開き、ぶるっと体を震わせたマヤは、トレンチコートの襟を立て、大きく深呼吸した。

『順調ですよ。軽い散歩や家事は積極的にしてね』

初診の時より、若干砕けた調子で話す、六十代前半とおぼしき男性医師は、モニターを見ながら説明した。

このまま順調に出産を迎えられるのかも。今日の医師の話を聞いて、マヤの不安は随分和らぎ、入れ替わりにふつふつと喜びの感情が湧いてくる。

トオルは今日はオフだと聞いていたので、昼食を軽く済ませた後に報告することにした。

電話で話すのは1週間ぶりだ。トオルが試合やチームメイトの話をするのに相槌を打ちながら、とりあえず順調にやっていることに一安心し、トオルの「マヤはどうしてる?」の問いかけのタイミングで伝えた。

「でかした、マヤ!!」

それがトオルの第一声で、パートナーとしてはいたって普通の反応だった。

トオルは、何事にも偏見を持たない。年齢や社会的な枠組みに縛られず、マヤの年齢も、十六歳という年齢差も、彼には意味をなさないようだ。
そういったおおらかで中立な価値観は、彼の魅力のひとつだったが、こういう場面ではマヤは不満を感じざるを得ない。

「マジ、嬉しいよ、マヤ!いや、いつかはできると思ってたけど、こんなに早くとは…」

「いつか」なんて四十を超えたマヤには、もはや相応しくない言葉だ。
興奮気味に捲し立てるトオルの声を遠くに感じながら、本当は恋人から言ってほしかった言葉を自分で言う。

「高齢での出産だから、まだまだ安心はできないんだけど」

「あ、そう…だよね。大丈夫?医者は何だって?」

マヤの不安と不満に気付いたのかは不明だが、天然なので仕方がないか、と諦める。

「まあ、初産ではないので。通常よりはマメに検診を受けて、出産までは細心の注意を払うようにって」

「そうか。オレがそばにいてあげられなくてごめん。大丈夫?」

どのみち東京に行ったとしても、本人はほとんど遠征で家を空けるのだから意味はない。

「うん。実家も近くだし。ユカもちょっとはあてになると思う」

「うん、そうだね。でも、ほんと、気を付けてね。何かあったらすぐに連絡してよ」

分かったと言って通話を終えたが、吉報を届けた後とは思えないほど、マヤの心は晴れやかとは程遠いものだった。
もしもパートナーが同年代であったなら、もう少し自分の不安も共有できたのだろうか?
マヤは、心許なさと孤独を感じながら、スマホをそっとテーブルに置いた。
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