ダメな大人の見本的な人生

13:移動式・地獄の空気

「ああ、俺ちょっと、買ってくるわ、あれ」
「あれってなに?」

 美来はすかさず、意味が分からない事を言い出すハルの言葉にかぶせて問いかけた。

「あれ……あの、のど飴」
「じゃあ私も行く。さっきから喉が痛くて。のど飴買おうと思ってたから」
「ついでに買ってきてやるよ」

 そう言って立ち上がろうとするハルを美来はギロリと睨んだ。
 ハルは美来と視線を合わせない様に、うつむき気味で立ち上がる。

 外に出たら最後。
 〝急用ができた〟とかなんとか言ってそのまま帰るつもりに決まっている。

 そうはさせるか、現在進行形ニート。
 お前の手口はわかっているんだ。

「ちょうどタバコもなくなりかけだし」
「じゃあそれも一緒に、」
「そこのコンビニいこっか」

 美来はハルに有無を言わせず、何食わぬ顔でカウンタ―から立ち上がった。

「美来さん行くなら俺もいくー」

 衣織はハルの存在などおそらく空気くらいにしか思っていないのだろう。軽い口調でそう言って立ち上がる。
 ハルはついてくる気満々の衣織を見て、〝嘘だろ〟という表情をした。

 そんなハルをよそに、美来はそれはそれでいいかと考えていた。
 衣織が付いてくるのなら、実柚里の前で一緒に出掛けた話は避けるべきだという理由を説明することができる。

 衣織と二人きりではなくて、ハルがいるのだ。
 三人なら恨まれることもないはずだ。

 よかったこれで少しは気が楽になる。

「私もちょっと外出たいからついてく」

 美来は自分の耳を疑った。
 おそらく、ハルも同じことだろう。
 つまり、実柚里の発言に頭を抱えたのは当事者たちではなく、大人二人だった。

「……じゃ、……いこっか」

 ほとんど放心状態のまま、言葉を口にする。
 これ以外の言葉を言える人がいるのなら、ぜひ連れてきてほしい。

 結局、四人まとめて近くのコンビニに歩いた。

 誰一人、口を開かない。
 そして衣織と実柚里は、相変わらず何も気にしていない様な顔をしていた。

 まさかの地獄の空気継続モード。
 そのまま横滑りして移動しただけ、という最悪の結末になった。

 いたっていつも通りに見える実柚里に、疲れているハル。
 そして衣織はやはり、美来の顔を見ていた。

「化粧ちょっと変わってる。気付かなかった」

 隣で嬉しそうにそういう衣織に、本当にこの子はどうしていつもこうなのだろうとため息を吐いた。

 コンビニの中では、さすがに地獄たちも離散した。
 実柚里は本のコーナーに。衣織はおにぎりのコーナーにそれぞれ移動する。

 美来とハルは同一の偽りの目的である、のど飴の元へと歩いた。

「お前、マジでふざけんなよ」

 ハルは恨みをたっぷりと込め、声を潜めてそう言った。

「アンタこそふざけないでよ。逃げようとしたでしょ? 私を置いて!」
「私を置いてってなんだよ。お前が自分で選んであそこにいたんだろうが。人のせいにすんな」

 ハルはそれから大きなため息をつく。

「で、どうすんだよ、あれ。なんで気晴らしにスナック来てんのに気ィ使ってんの?」
「私が聞きたいんだけど。どうしたらいいの? 検討も付かないんだけど」
「もうお前、せめて衣織連れて帰れよ」
「連れて帰るってどこによ」
「お前の家に決まってんだろ。アイツ喜んでついてくだろ」
「私の事、なんだと思ってるの? 嫌に決まってるでしょ。もう衣織くんとそういうのはやめたの」
「美来さーん」

 ひょこっと通路から顔を出す衣織に、二人はのど飴を選んでいるフリをしてごまかした。

「喉大丈夫?」
「うん、平気」

 衣織はまるで美来の隣にいるハルなんて見えてすらいないといった様子で、美来にだけ視線を寄越している。

「俺にも言えよ」
「男のかまってちゃんは需要ないよ」

 あっさりとした口調でそういう衣織にハルは「……コイツ」と恨めし気に呟いた。

 ハルは欲しくもないのど飴を。

 美来はそれをもらう、といういいポジションを陣取ってタバコだけを購入し、ハルと横並びになりほとんど同じタイミングでコンビニの外に出た。

「ちょっと」

 怒りを込めて言う実柚里の声に、美来とハルは振り返った。

「なに?」
「なに? じゃないんだけど」

 どうやら衣織と実柚里は、外に出ようとして肩か何かぶつけたらしい。
 よほど腹が立ったのか、実柚里は以前とは打って変わって冷たい視線を衣織に向けていた。

「レディーファーストって言葉知らないの?」
「うん、知らない」

 絶対知ってるだろ。と思う美来をよそに、衣織はさっさと先を歩く。

「謝ってよ」
「ごめん」

 感情的な実柚里の言葉に、感情を込めずにあっさりと言う衣織。
 美来は〝そういう事じゃない〟といいかけたが、一部始終を見ていたわけではないので勝手にどちらかを悪者にするわけにもいかずに黙っていた。

 ハルは「勘弁しろよ……」と言いながらため息をついて頭を抱えた。

「あーあ。私! 何でこんなクズみたいな男が好きだったんだろ!」

 実柚里は吐き捨てる様にそういう。
 好き〝だった〟、という言葉で思考が止まったのは、美来とハルだった。

「俺の事が好きな〝自分〟に酔ってたんじゃない? よかったじゃん、目が覚めて」

 話についていけない二人をよそに、衣織は他人事の様に言う。

「本当に無理なんだけど。大体、何でアンタがついてくんの?」
「俺は美来さんについてきただけ」

 ああいえばこういう衣織に、実柚里は盛大に舌打ちをした。

「損した気分」

 ハルはそう言うと、さっさと先を歩き出した。
 本当にその通りだ。心配して損した気分になる。

 先を歩くハルに釣られて歩き出す美来の横に、実柚里が並んだ。

「は? 美来さんの隣は俺なんだけど」
「そんなに取られたくないなら名前書いとけよ」

 さっきの地獄の空気よりはだいぶマシだと思った美来はもう聞こえないふりをして足を進めていた。

「お前ら、道端で喧嘩すんなら二度とコンビニ連れて行かねーぞ」

 ハルがそう言うと、二人は黙った。
 てっきりどちらが言い返すものだと思ったが、お互いに何か言いたげにほんの少し口を尖らせてすねている。

 溜息をついたが、同時に笑いが漏れた。
 子どもの面倒をみるのも、たまには悪くない気がして。

 やっぱり、これくらいの関係の方がちょうどいい。
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