ダメな大人の見本的な人生

14:デートのお誘い

 今日は火曜日。
 明日は祝日の水曜日。

 社会人にとって祝日とは、神様からのプレゼントのようなものだと思う。

 都会の空気でさえ、マイナスイオンが出ている様な気がする。
 なんて素敵な退勤後の時間なのだろう。

「美来さん」

 ヤツは、語尾にハートでも付けそうなくらい上機嫌で、ニコニコ笑顔を張り付けて会社の前に立っていた。

「何してるの!?」
「迎えに来ちゃった」

 もう、頭が痛くなってくる。
 どうしてそう無邪気な顔で、社会人の女を会社の下まで迎えに行こうと思えるのか。

「とりあえず、こっち……!」

 美来はそう言うと、衣織の手を握ってとりあえずその場から離れた。

 自分の年齢と顔の良さをまずは考えた方がいい。
 万が一援助交際とかレンタル彼氏だなんて思われたらどう責任を取ってくれるのだろう。

「お願いだから会社には来ないでよ」
「なんで?」

 衣織は心底不思議そうな顔をしてそういう。

 今日も顔がいいな……じゃなかった。
 これは本心でやっているのだろうか。
 それともまた計算しつくされた結果なのだろうか。

「美来さんに話があってきたんだ」
「何? 話って」
「明日、デートしよ」
「デートねー」

 衣織の言葉を、ああ、なんだデートか。と当たり前の様にスルーしようとしたが途端にフリーズする。

「デート……?」
「そう。デート。美来さん明日休みでしょ?」

 休みだ。確かに明日は会社は休み。
 そう思って今日は一日中、明日は何をしようかと考えていた所だった。

 普通、〝デートしよ〟なんて直球で誘うか?

 ご飯いかない? とか、買い物いかない? とかそんなものじゃないのだろうか。
 恋愛経験は多い方だと自負している美来も、これほど直球であっけらかんとデートに誘われたのは初めてで、どんな風に返事をしたらいいのか。

 最初から大してスペックが高くもなく、かつ一日仕事をして疲れている頭では、最適解を導き出す事が出来なかった。

「デート……どこに?」
「遊園地」
「遊園地……?」

 それはめちゃくちゃデートじゃん。と驚愕しながらも、いや、でもなんで急に……。とパニックになっていた。

「じゃあ、明日」
「ああ、ちょっと……!」

 衣織はそう言うと、さっさと歩きだす。

 本当に遊園地でデートをするつもりなのか。
 何のために? 確かにこの前のダーツとかビリヤードは楽しかった。しかし、あの子には遊ぼうと言わなくても遊んでくれるお姉さんなんてたくさんいるはずだ。

 会おうと思えばスナックで会えるのに、わざわざ二人きりで出かける? という疑問は当然あったが、そのころには衣織はもう見えなくなってしまっていた。

 〝明日暇?〟と聞かない辺りにもなんだかテクニックを感じる。
 しかし、彼の目的がさっぱりわからない。

 断るにしても、あれやこれやと理由をつけてきそうな気しかしない。

 まあ、そうはいっても明日はどうせ暇だった。
 いいのかな。距離縮まったりしないかな。いや、それはこっちの匙加減だ。

 付き合ってやるか。せっかくだし。くらいの軽い気持ちで、美来は家に帰った。





 次の日の朝。

【迎えに行くね】

 衣織から連絡がきたのは9時半ごろ。

 社会人を舐めるんじゃないよ。
 休日のこの時間なんて、寝ている社会人は大勢いるんだ。

 それも君達みたいに前日にどんちゃん騒ぎして酒に呑まれたとかそんな理由じゃない。

 とりあえず一週間は職場で生き延びた安心感と、切ろうにも切れない対人関係の抱えきれないストレスにより休日を充電に充てないと身体がもたないという悲しき理由からだ。

 これだから子どもは。
 大人と時間を共有するのなら、時間の確認はマストだ。
 昨日のうちにしとけよ、気遣えよ。

 そう思いながらも、服も顔も髪も完璧な状態でソファーとテーブルの隙間に座っている自分が嫌になる。

 〝遊園地デート〟なんてよく考えたら久しぶり過ぎて、夜はまともに眠れなかった。
 断じて楽しみすぎて眠れなかったわけじゃない。

 いったいいつからデートの定番は〝遊園地〟ではなくなったのだろう、とか。ヒールじゃなくてスニーカーの方がいいんだっけ。とかいろいろなことを考えていると、もう朝? という状態だった。

 朝5時半からそわそわして、もう起きるかと思い立ちシャワーを浴びたまではよかった。
 それからなんだか急に活動的な気持ちになって、まだ暗い中散歩までこなした。

 こんなにいろいろやってもまだ6時過ぎだ、という幸福感のまま準備をして、かれこれ一時間半は暇を持て余している事になる。

 おかげ様で気分は優れている。しかし、貴重な休日に何をしているんだという気持ちはぬぐえなかった。

 とりあえず曖昧な鳥が空を飛んでいるスタンプが一番上に出てきたのでそれを送っておいた。

 そしていつも通り、熱々のインスタントコーヒーを入れてまた定位置に戻ってくる。
 時刻は十時少し前。

 何の気なしにスマホのメモを開いた。

【トイレットペーパー】

 そうだ。トイレットペーパー買い忘れていたんだった。
 どうして散歩のときに気付かなかったんだ。

 いやそんな贅沢は言わない。どうしてせめて後三十分前に気付かなかったんだ。

 時間を無駄遣いした気になり一気にテンションが下がった美来はソファーに頭を預けた。

 ピンポーンと、その瞬間に音が鳴る。

 タイミングというのはずれる時にはとことん外れるものらしい。

 美来は首をもたげて、ゆっくりと立ち上がった。

「はーい」

 間延びした返事をしながら玄関まで歩く。
 玄関を開けるとそこには、眩しい笑顔の衣織がいた。

「おはよ、美来さん。今日も可愛いね」

 カップル動画の隠し撮り企画で百点満点を取れそうな彼氏、みたいなセリフを本気で吐いているのだろう衣織に「うん」とテキトーに返事をした。

「もう出られる?」
「うん。……あ」

 そして気が付いた。
 何のバッグを持って行くか決めていなかった。
 仕事用のバッグの中に何もかも入っていて、つまり、持ち物をなにも準備していないという事になる。

 いったい自分は朝5時半から今まで何をしていたのだろう。と本気で思った。

 衣織には申し訳ないが外で待っていてもらってバッグは小ぶりの手で持っても肩にかけても大丈夫な仕様のものにした。

 こんな時、それぞれのバッグにハンカチを忍ばせていると焦らずに済む。

 いや、もしかすると一回くらい使ったかもしれない。と思いながら、大して気にすることもなく必要最低限のものを詰め込んで外に出た。

「ごめんね。お待たせ」
「ううん。美来さん、今日の服可愛いね」
「そうかな」
「うん。っていうかもう、美来さんが可愛い」

 衣織は屈託のない笑顔でそういう。
 それにまんざらでもない気持ちになり、絆されそうになったあたりで自分を律した。

 二人がしばらく歩いていると、互いの手の甲が触れる。
 ここで、ごめん、というのもなんだか違うと思った美来は大して何も言う事はしなかったが、不規則に触れる手から意識を逸らそうと努めていた。

「人多いねー」
「本当だね」

 周りを見回しながら言う衣織に同意をしながら歩く。

 衣織はごく自然に美来の手に指を絡めた。
 本当に、当然の様に。ごくごく、自然に。

 何なら少しの間、手を繋いでいるのかどうかもわからなかったくらい。

「……あのさ、衣織くん」
「うん。何?」

 衣織は言いたいことも、これから言われるであろう事もわかっている。しかし、屈託のない顔で笑っていた。
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