久我くん、聞いてないんですけど?!
パンッ!と音がして、私に差し出されていたクリームパンみたいな手が弾かれる。

顔を上げると、誰かが私の前に立ちはだかり、清の手を払い除けていた。

「華さんに触れるな」

「はあ?誰だよ、お前」

黒子ママが後ろで小さく叫ぶ。

「あなた、空我(くうが)ホールディングスの御曹司の…」

え?空我ホールディングスって、不動産からデパート、銀行、旅行会社まで手広く手がける、日本のトップ企業の?

そんな人がどうして私の名前を?
いや、この声…
どこかで聞いたことあるような?

「なんでお前が邪魔するんだよ!」

「こちらからも質問したい。あなたはこの女性の一生を背負う覚悟がおありですか?自分の生涯をかけてこの方を幸せにすると約束できるのですか?」

「はあ?何言ってんだこいつ」

「それはこちらのセリフです。結婚するとはそういうこと。親に言われて仕方なく従ってきたあなたの人生に、輝かしい未来あるこの女性を巻き込むのがどれほど罪深いことか、それすらも理解できないのですか?」

「そんな長々しゃべられたら、わかんねーよ!」

「それが答えですね。あなたにこの女性と結婚する資格はない」

会場中が静まり返り、ニ人のやり取りを聞いている。

やがてお父様が近づいてきた。

「久しぶりだね、翔平(しょうへい)くん」

「下川社長、ご無沙汰しております」

「お父上は、今ミラノでしたか?」

「はい。代わりに今夜はわたくしが参りました。父も下川社長にはくれぐれもよろしくと申しておりました」

「そうか。またお会いする時には、色々お話をさせてもらうよ。ところで君は、華さんとお知り合いだったんだね」

「はい」

え?そうなの?!
翔平なんて知り合い、いたっけ?
『世界の翔平』なら知ってるけど、素敵な奥様と結婚されたわよねえ。
うっとり…

「君の言った通りだよ。うちのドラ息子に華さんをお嫁にもらう資格はない。私もようやく目が覚めた。会社も清には継がせない。血縁関係のない社員から選ぶとする」

あなたっ!とお母様が驚いたように止めるが、お父様は気にも留めない。

「華さん、ご迷惑をおかけしたね。妻と私は政略結婚で、互いに気持ちがないまま結婚してしまった。寂しさを紛らわすように、妻は一人息子の清を甘やかし、結果としてこんなにも世間知らずな人間に育ててしまった。全て私の責任だ。これからは、家庭をしっかりかえりみるよ。君まで巻き込んでしまって、本当にすまなかったね。でもここで踏みとどまれて良かった。どうか幸せになってください」

「お父様…」

最後にお父様は、私の父さんに声をかけた。

「蒼井さん。お嬢さんを幸せにできるのはうちの息子ではない。翔平くんと華さんの幸せを、陰ながら私も願っていますよ」

「下川社長、そんな…。何と申し上げてよいのか」

「父親なら、娘を幸せにしてくれる男性に託さなきゃ。翔平くんなら間違いない」

すると『世界の翔平』ではない、日本の翔平が父さんに口を開いた。

「初めまして、久我 翔平と申します」

「ギャー!!久我くん?」

ジロリと久我くんは、私を振り返る。

「このシーンで、そんなバケモノ見たような声出さないでくれる?」

「だ、だって、驚きすぎて声が出なくて…」

「充分出てるよ」

仕立ての良いスリーピースのフォーマルなスーツに、綺麗に整えられた黒髪。

こんな久我くん、見たことない。

ポカンとしていると、久我くんはまた父さんに向き直った。

「結婚を前提にお嬢様とおつき合いさせて頂きたいと思っております。お許し頂けるでしょうか?」

「ええー!聞いてないんですけど?!」

「華さん、ちょっと黙ってて」

またジロリと視線をよこす。

「どんな時もそばでお嬢様をお守りし、必ず幸せに致します。大切なお嬢様をこの先もずっと愛し続けます。どうか私達の結婚をお許しください」

「ちょっと、久我くん!どうして先に父さんにプロポーズするのよ?」

ジロリ…、いや、久我くんがまた睨んできた。

「お父さん、申し訳ありませんが、一晩お嬢様をお借りしても?」

「はっ?借りるって何?」

ジロリはもうキリがないと諦めたらしい。
私を振り返らず、父さんの返事を待っている。

「そ、そんな。私はもう、何も言えません…。どうぞお持ち帰りください」

「父さん!おかしいでしょ?」

「ありがとうございます。また後日、改めてご挨拶に伺います。今夜はこれにて、失礼致します」

翔平=ジロリ=久我くんは、最後に会場のゲストを見渡した。

「皆様、お騒がせ致しました。この後もどうぞ楽しいひとときを。我々はここで失礼致します」

深々とお辞儀をする久我くんに、わあっと拍手が起こった。

「行くぞ」

私のウエストを抱いて歩き始める久我くん。
ちょっと!どさくさ紛れに何やってんのよ!

ゲストの皆様が花道を作ってくれ、お祝いの言葉をかけてくれる。

「おめでとう!」
「お幸せにね」

いや、あの、どうも。
これまた、どうも。

仕方なくペコペコしながら、私は久我くんにガッチリ腰を抱き寄せられたまま、会場をあとにした。
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