空色の手紙は執着愛の証 ~溺愛は再会とともに~

──そしてその年の秋、私は男の子を出産。

初産で少し時間がかかったけど、陣痛が始まった時からずっと賢太郎さんが側についていてくれたから不安は全くなくて、体力的には大変だったけど、本当に心強かったんだ。

二人で考えた名前は柊真(しゅうま)。
新しい家族の誕生を、私達の家族や仲間達みんなが喜んでくれた。



──それから2年後に柊真の弟となる風真(ふうま)を、更にその2年後には二人の妹となる莉真(りま)を出産。

立て続けの妊娠・出産だったから、莉真の妊娠がわかった時には、霧ちゃんが賢太郎さんに「少しは那知の身体を休ませろ!」って抗議してたっけ、あはは。


でもね、賢太郎さんは子育ても家事も、一緒に楽しんでくれているの。

育児休暇もしっかり取ってくれたおかげで、産後の体調がなかなか戻らない時期も、私は無理することなく乗り越えられたんだ。


あっ、そうそう!
賢太郎さんは40歳になった年に、お父様の後を継いで十和田ホールディングスの社長に就いたの。
社長職を譲ったお父様は会長になられてね。

その賢太郎さんの社長就任時の挨拶で、まだ部長や副社長をしていた時に3人分の育休を取った事や、『妻と一緒に子育てをして分かる、楽しさと苦労とやりがい』と『それらは仕事の面のみならず人間的な面でも良い影響をもたらすと感じた』ということを話すと社内でもそれが話題となり、ホールディングスでは男性社員の育休取得率が格段に上がったの。

それを賢太郎さんがしたからなのか、
〝仕事がデキる男は家事や育児もデキる男〞
〝妻を大事にする男はカッコいい〞
みたいな風潮が自然とできてね。


それに、育休を取る都度、課題もたくさん見えてきたらしく、女性男性問わずあらゆる世代の社員さんと話し合いを重ね、それを踏まえて賢太郎さんがホールディングスで更なる働き方改革をどんどん提唱していった結果、女性も男性も働きやすくなったと社員からも大絶賛!

しかもそれは十和田ホールディングスの子会社にも波紋が広がり、TOKIWAでもテレワークが当たり前に選べる様になったりして、私も育児が大変な時期は本当にありがたかったんだ。


すると、その噂を聞きつけた、コメンテーターとしても有名な経済学者さんが賢太郎さんの元へお話を聞きに来られて、その方が発信した記事により〝男性社員の育休取得率を爆上げした、イケメンでイクメンな社長〞という触れ込みができてしまい、それからというもの怒涛の勢いで賢太郎さんはテレビや新聞などにも名前が挙がる様になっちゃって、一躍有名人に。

しかも〝イクメン社長の溺愛妻!〞なんて飛び火で私まで取材を受けたことも…
あれはほんとに恥ずかしかったなぁ。
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